「ミシシッピ文化」の版間の差分

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# 「南東部祭礼様式」<ref>[[:en:Southeastern Ceremonial Complex]]の直訳。日本国内では一部の研究者により「サザン・カルト」の名で知られるがSoutheastern Ceremonial Complexの定訳はない。Antonio J.Waringが1945年の論文で、[[エトワー]]、[[マウンドヴィル]]、スパイロ出土のサザン・カルトのモチーフの比較分析をAmerican Anthropologist誌で行った際にこの用語を初めて用いた。</ref>、または[[サザン・カルト]]と呼ばれるものの祭具の採用。これは現在でも知られているミシシッピ人の信仰様式である。サザン・カルトは[[ウィスコンシン州]](アズタラン州立公園)からメキシコ湾岸、また[[フロリダ州]]から[[アーカンソー州]]や[[オクラホマ州]]にかけて発生した。これは時に、チャンキー([[:en:chunkey]])のような儀式的ゲームに結びつけられている。
 
[[画像:Spiromoundsraccoon.gif|thumb|right|150px|スパイロ・マウンド(オクラホマ州)出土壁画貝殻(主として巻き貝など)描か刻まれているアライグマ]]
ミシシッピ人は文字体系がなく、石の建築も無かった。自然に発生している金属堆積物を加工できたが、銅や鉄を溶解したり、銅て加工する冶金の術はなかった。
 
== 編年論 ==
ミシシッピ文化の発展段階は通常三期ないしそれ以上の時期に区分される。これらの時期のそれぞれ地域ごとに異なるはっきり依然とてあ歴史まいな部分のある時代区分である。ある場所でのそれぞれの開始時期は、上記ミシシッピ文化の特徴の採用や発展の速度によって早くなったり遅くなったりしていると考えられる。
 
初期ミシシッピ文化は後期ウッドランド期([[:en:Woodland period|Late Woodland]])(500年から1000年)からの変化を始めた時期に相当する。異なる集団が種族の生活様式を棄てて、社会構造の複雑化、定住、集権化および農業を始めた。初期ミシシッピ文化はほとんどの場所で1000年から1200年ころと考えられる。