「ツール・ド・フランス1930」の版間の差分

 
== 国・地域別対抗戦がスタート ==
ともすれば個人任せというルールであるがゆえに、[[1929年]]の[[ツール・ド・フランス1929|ツール・ド・フランス]]において、[[ヴィクトール・フォンタン]]が[[マイヨ・ジョーヌ]]を着用したまま棄権せざるを得なくなったという弊害を生み出したことに起因して、今大会より、これまで認められていた個人での参加はできなくなり、国・地域のチームにエントリーされた選手だけが出場できることになった。よってしばし、'''近代ツール'''という言葉が使われるケースがあるが、それは今大会が事実上の元年といっても過言ではない。なお、国・地域別のチーム編成は、[[ツール・ド・フランス1961|1961年]]まで続けられることになる。
 
参加チームは、[[ベルギー]]、[[イタリア]]、[[スペイン]]、[[ドイツ]]、[[フランス]]の各ナショナルチームに加え、いわゆる多国籍軍ともいえる混成チームが7つの合計12。
匿名利用者