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テル・ブラク(ナガル)の遺跡は、[[イギリス]]の考古学者[[マックス・マローワン]]卿(Sir Max Mallowan)が[[1930年代]]に発掘を進め、[[1976年]]から[[1993年]]までデイヴィッド・オーツとジョーン・オーツ(David and Joan Oates)が発掘を再開した。
 
紀元前3700年頃のものと思われる家には、ドーム状のかまどのある長細い中庭があり、一族などの集まりが行われるには十分な広さがある。また紀元前2300年頃に[[馬]]が導入される前は、ナガルは[[ロバ]](donkey)と[[アジアノロバ]](onager)を掛け合わせた雑種のロバを生産する土地で、このロバは荷車を引かせるために使われ各地に高値で売れた<ref>[http://www.britac.ac.uk/events/2004/reckitt.html Archaeology in Mesopotamia:Digging Deeper at Tell Brak, Dr Joan Oates, The McDonald Institute for Archaeological Research]</ref>。

アッカド以前の時代のナガルを物語る、テル・ブラクでも最も知られた遺跡は、[[紀元前4千年紀]]後半の「'''眼の神殿'''」と呼ばれるもので[[1937年]]から[[1938年]]にかけて発掘された。紀元前3500年頃から紀元前3300年頃にかけて建設されたとみられる神殿からは、[[雪花石膏]](アラバスター)で造られた数百個の小さな像(胴の上に、首の代わりに二つの大きな両目がついている像で、「眼の偶像」 "eye idol" と呼ばれる)が出土しており、泥レンガで神殿が建設された時に、漆喰のなかに塗り込められたものとみられる。また神殿の表は円錐状の彩色土器(clay cone、コーン・モザイク)を埋め込んだ[[モザイク]]や、銅板、金細工などで装飾されており、同時期のシュメールの神殿の様式とも比較される。近年の発掘のうち最も劇的な発見は、紀元前3800年に遡る二つの[[集団墓地]]であり、[[都市化]]の過程と[[戦争]]とが結びついていたことを示唆するものである。
 
また1984年には、絵文字で家畜の種類と数が書かれていた紀元前4千年紀前半の粘土板が見つかっている。この絵文字は楔形文字より古く、ウルク古拙文字のものより単純な形をしているが、何語を表すためのものであったかはまだ分からない。
 
== 脚注 ==