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'''平 敦盛'''(たいら の あつもり、[[嘉応]]元年([[1169年]]) - [[元暦]]元年[[2月7日 (旧暦)|2月7日]]([[1184年]][[3月20日]]))は、[[平安時代]]末期の[[武士]]。[[平経盛]]の末子。[[平清盛]]の甥。[[位階]]は[[従五位|従五位下]]。[[官職]]にはついておらず、'''無官大夫'''と称された。
==生涯==
[[一ノ谷の戦い]]で[[熊谷直実|熊谷次郎直実]]に討たれた。享年16歳<ref>源平盛衰記では16歳とあり、平家物語の記載では17歳とある。直実の息子小次郎直家は、
『[[平家物語]]』において敦盛が直実に討たれる場面が有名であり、[[能]]『[[敦盛 (能)|敦盛]]』、[[幸若舞]]『[[敦盛 (幸若舞)|敦盛]]』、[[謡曲]]『[[敦盛 (謡曲)|敦盛]]』、[[歌舞伎]]『一谷嫩軍記』などの題材となった。[[織田信長]]の好んだ歌『''人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻の如くなり。一度生を享け滅せぬもののあるべきか''』は幸若舞の『[[敦盛 (幸若舞)|敦盛]]』の一節である。
[[横笛]]の名手として知られていた。討たれた時
[[画像:atsumori.JPG|thumb|240px|[[須磨寺]]にある平敦盛の首塚]]
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