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*:1950年に結成された左翼政党で、実質的な奄美共産党の合法部門である。党綱領として、「民主主義の実現」「生活共同体を建設して住民の安定と向上を図る」「米軍政府に協力して、反民主勢力を排除する」を掲げた。その後、沖縄本島の沖縄人民党と合同した。
=== 沖縄諸島限定の政党 ===
*'''沖縄社会党'''・'''琉球社会党'''→'''社会党'''
*:沖縄社会党は1947年9月に美里村(現在の[[沖縄市]])において、大宜味朝徳が中心となって、琉球社会党は10月に首里市(現在の[[那覇市]])で兼島信栄が中心となって、それぞれ結成された。翌月に琉球社会党結党後の1週間後に両党は、社会党となる。アメリカによる[[信託統治]]を支持し、「アメリカの世界政策の支持」「防共の強化」といった親米路線に立っていたものの、党首となった大宜味のワンマン体質から党勢が伸び悩み、振るわなかった。
*'''琉球社会党'''
*:1947年10月に首里市(現在の[[那覇市]])において、兼島信栄が中心となって結成された。1週間後に沖縄社会党と合流した。
*'''沖縄民主同盟'''
*:1947年に沖縄諮詢会委員だった仲宗根源和が中心になって結成された。当時の沖縄における主要政党の一つであった。有力政治家が数多く集まり、かなり幅広い組織であった(成文化した綱領を持たなかった。)。沖縄群島知事選挙では、松岡政保候補を推したが敗退した。その後、1950年に共和党に合流した。
*'''沖縄人民党'''
*:1947年に結成された左翼政党。「民主政治の確立」「公益事業の公営化」「人権の尊重」「世界平和の確立」を掲げた。1949年を境にアメリカ統治への批判を高めるようになった。1952年に奄美の社会民主党と合流した。
*'''社会党'''
*:1947年10月に沖縄社会党と琉球社会党が合同して結成された。「アメリカの世界政策の支持」「防共の強化」といった親米路線に立っていた。アメリカによる[[信託統治]]を支持していた。
*'''共和党'''
*:1950年に沖縄群島知事候補だった[[松岡政保]]派の支持者と沖縄民主同盟の支持者によって結成された。当時の沖縄群島議会において、社会大衆党に次ぐ第二党であった。沖縄の帰属については「独立論」を掲げていた。1952年に解散した。