「ヘンリエッタ島」の版間の差分

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== 歴史 ==
[[1879年]]にジャネット探検隊は出航し、隊長はジョージ・W・ロングが務めた。主な目的としては[[ウランゲリ島]]を発見するのと、[[北極点]]に接近する事であった。けれどもだが、1879年9月に探検隊はジャネット島近海に達し、ヘラルド島([[:en:Herald Island (Arctic)]])を発見した。その後船は数百マイルさまよった後、ウランゲリ島の北を通過し、[[1881年]]5月に再びジャネット島とヘンリエッタ島に接近・発見した。翌年の[[1882年]]6月2日・3日には、ジョージ・W・メルヴィル([[:en:George W. Melville]])率いる一行が旅行へ出かけた際に、島に記念碑を建造し、彼らがジャネット島を発見したと記録した。1882年度海軍長官報告書の16ページによると、「彼らは島にアメリカ国旗を掲げ、アメリカの領土であると宣言した」と書かれている。
 
1914 - 15年には、ボリス・ヴィリキツキー率いる[[ロシア帝国]][[北極海]]探検隊が、ヘンリエッタ島と、隣接するジャネット島の地図を作成するために[[砕氷船]]ヴァイガチ号で接近した。しかし、厚い海氷に阻まれて接近は失敗に終わり、[[1916年]]、ロシア帝国のイギリス大使は「ロシア政府はヘンリエッタ島を熟慮した上の結果であった」と発表した。現在の[[ロシア連邦]]は、ジャネット島を近くの島と同じく、領土の一部だとしており、この主張は前の[[ソビエト連邦]]から受け継がれたものである。
 
ヘンリエッタ島には[[1937年]]に[[ソビエト連邦]]の北極駐屯地が設立されたが、[[1963年]]に閉鎖された。[[1979年]]には、ソビエト連邦の探検隊が[[北極点]]の近くで[[スキー]]を行った。
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[[Category:ノヴォア連邦のビルスク諸島]]
[[Category:サハ共和国]]
[[Category:北極の島]]