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'''ウラジミール・ジャンケレヴィッチ'''('''Vladimir Jankélévitch'''、[[1903年]][[8月31日]] - [[1985年]][[4月10日]])は、[[フランス]]の[[哲学者]]。
独自の道徳哲学を展開した。思想的には[[プラトン]]、[[アリストテレス]]、[[新プラトン主義]]をはじめとする古代哲学を深く修めるとともに、[[アルトゥル・ショーペンハウアー|ショーペンハウアー]]、[[ゲオルク・ジンメル|ジンメル]]、[[ベルクソン]]らの「[[生の哲学]]」の流れを汲んでおり、その中でも特に[[アンリ・ベルクソン|ベルクソン]]の哲学からは強い影響を受けている。また、音楽美学者としても非常に優れ、特に[[クロード・ドビュッシー|ドビュッシー]]論や[[モーリス・ラヴェル|ラヴェル]]論は有名である。
== 生涯 ==
[[ユダヤ]]系[[ロシア]]人の子としてフランスのブールジュに生まれる。パリの[[高等師範学校 (フランス)|高等師範学校]]を卒業後、[[1926年]]には[[アグレガシオン]](1級教員資格)に首席で合格。[[1927年]]から[[1932年]]までプラハのフランス学院に勤務。[[1931年]]にベルクソン論を出版、ベルクソン本人からも激賞される。[[1933年]]に学位論文『[[フリードリヒ・シェリング|シェリング]]後期哲学における意識のオデュッセー』を提出。その後各地で教職につくが、第二次大戦が起こり軍に召集され、負傷。だが負傷中に[[ヴィシー政権]]の対ユダヤ人政策よって除隊、さらに教職剥奪という事態に遭遇し、[[レジスタンス運動]]に身を投ずることとな
ジャンケレヴィッチは、その誠実さから、[[1968年]]の[[五月革命]]でも学生から信頼を得ていた数少ない知識人であった。ハイデッガーに対しては「血と汚辱の体制に向けて哲学教授が批判という職務を敢行しなかった」ことに深い嫌悪感を表明し、サルトルに対しては「アンガジュマンは、戦中の非行動に対する一種の病的な補償、悔恨」に過ぎないとし、フランス現代思想家に対しては「ハイデガーを読み、その言葉をドイツ語で引用するソルボンヌの猿たち」と侮蔑した<ref>小泉義之[http://www.ritsumei.ac.jp/acd/gr/gsce/s/ky01/031031.htm 「合田正人『ジャンケレヴィッチ――境界のラプソディー』」]『週刊読書人』第2510号(2003年10月31日)。</ref> 。
[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]や[[エマニュエル・レヴィナス|レヴィナス]]とはほぼ同世代に属するが、いわゆる[[フランス現代思想]]の流れからは距離を置いた位置にいたといえる。「道徳」「倫理」「死」「音楽」といったテーマにおいて「語りえぬもの」「何だかよく分からないもの("je-ne-sais-quoi")」をめぐって、哲学の概念のみならず古今の文学や音楽までも幅広く用いつつ、体系にとらわれることなく自在でしなやかな思索を展開しつづける彼のスタイルは極めて独自のものであり、それゆえに「分類できない哲学者」("Philosophe inclassable")とも呼ばれた。▼
[[1982年]]には[[レバノン内戦|イスラエル軍のベイルート侵攻]]に反対するイスラエル大使館への抗議デモに参加し、フランスユダヤ人社会からの非難にさらされた。
[[1985年]]、パリの自宅にて死去。
== 思想 ==
体系化・分類化を拒絶した繊細な道徳論を展開。その著作の文体は詩的にして流麗。また音楽論を展開。「生きた、愛した、存在した」の哲学者。
▲[[ジャン=ポール・サルトル|サルトル]]や[[エマニュエル・レヴィナス|レヴィナス]]とはほぼ同世代に属するが、いわゆる[[フランス現代思想]]の流れからは距離を置いた位置にいたといえる。「道徳」「倫理」「死」「音楽」といったテーマにおいて「語りえぬもの」「何だかよく分からないもの("je-ne-sais-quoi")」をめぐって、哲学の概念のみならず古今の文学や音楽までも幅広く用いつつ、体系にとらわれることなく自在でしなやかな思索を展開しつづける彼のスタイルは極めて独自のものであり、それゆえに「分類できない哲学者」("Philosophe inclassable")とも呼ばれた。
== 主要著作 ==
*1931, ''Bergson''
*1949, ''Traite des vertus'' (
:仲澤紀雄訳『徳についてⅡ 徳と愛1』(国文社、2007年)
*''Philosophie premiere'' (1954)▼
:『徳についてⅡ 徳と愛2』
**『第一哲学』▼
:『徳についてⅢ 無心と性悪さ』
*''Ravel''(1956)▼
*''Le Je-ne-sais-quoi et le Presque-rien'' (1957)▼
**『なんだかわからないものとほとんど無』▼
:福田達夫訳『ラヴェル』([[白水社]]、2002年(新装版))
*''La musique et l'ineffable''(1961)▼
**『音楽と筆舌に尽くせないもの』国文社▼
*''L'Ironie''(1964)▼
**『イロニーの精神』[[紀伊国屋書店]]▼
*''La Mort'' (1966)▼
*''La vie et la mort dans la musique de Dubussy'' (1968)▼
**『ドビュッシー 生と死の音楽』[[青土社]]▼
:仲沢紀雄訳『死』([[みすず書房]]、1997年(復刊))
*''Faure et l'inexprimable''(1974)▼
**『音楽から沈黙へ [[フォーレ]]―言葉では言い表し得ないもの…』[[新評論]]▼
*''L'irreversible et la nostalgie''(1974)▼
**『還らぬ時と郷愁』国文社▼
*''Queloque part dans l'inacheve'' (1978)▼
**『仕事と日々・夢想と夜々』みすず書房▼
*''Le paradoxe de la morale'' (1981)▼
**『道徳の逆説』みすず書房▼
*''La presence lointaine, Albeniz, Severac, Mompou''(1983)▼
*''Le Nocturne'' (1984)▼
:[[近藤秀樹]]訳『遥かなる現前――アルベニス、セヴラック、モンポウ』([[春秋社]]、2002年)
*''Lizt et la rhapsodie, essai sur la virtuosite''(1984)▼
**『リスト ヴィルトゥオーゾの冒険』春秋社▼
:[[千葉文夫]]・松浪未知世・川竹英克訳『夜の音楽――ショパン・フォーレ・サティ、ロマン派から現代へ』([[シンフォニア]]、1986年)
*''Premieres et dernieres pages''(1994)▼
**『最初と最後のページ』みすず書房▼
*''Penser la mort?'' (1994)▼
**『死とはなにか』[[青弓社]]▼
== 関連文献 ==
:序文をジャンケレヴィッチが執筆。
*「ジャンケレヴィッチ特集」『へるめす』1994年52号([[岩波書店]])
:ジャンケレヴィッチについての著述が6ページある。
*原章二「ジャンケレヴィッチの思い出」同人誌『散』
:原章二はジャンケレヴィッチに師事していた。
*『[[ユリイカ]] ドビュッシー特集』
==
{{reflist}}
▲**[[ステファン・ヤロチニスキ(ヤロチンスキ)]]『ドビュッシィ 印象主義と象徴主義』([[音楽之友社]]、日本語訳の底本はフランス語訳版)の序文を、ジャンケレヴィッチが書いている。
▲**[[岩波書店]]発行の「へるめす 1994年52号」において「ジャンケレヴィッチ特集」が組まれている。「死―取り消しえないこと ダニエル・ディネとの対話」「愛―唯一の徳」「女―近くて遠い者」「音楽―モンポウのメッセージ」「遺稿 時 / 創造・制作・生涯」というジャンケレヴィッチの文章の翻訳と3つの論考が収録されている。
▲**[[トロティニョン]]『現代フランスの哲学』(1969、原著1967)白水社[[文庫クセジュ]]に、ジャンケレヴィッチについての著述が6ページある。
▲**[[合田正人]]『ジャンケレヴィッチ 境界のラプソディー』みすず書房
▲**[[千葉文夫]]が『[[ユリイカ]] ドビュッシー特集』において、ジャンケレヴィッチに言及。
[[category:フランスの哲学者]]
[[Category:ユダヤ系フランス人
[[Category:
[[Category:1985年没]]
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