「益子焼」の版間の差分

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'''益子焼'''(ましこやき)とは、[[栃木県]][[芳賀郡]][[益子町]]周辺を産地とする[[陶磁器|陶器]]。
 
<!--益子焼の職人になるには、最低10年を要すると言われる。--><!--検証可能性を満たすソースを提示してください。-->
毎年、[[ゴールデンウイーク]]と[[11月3日]]前後に「[[陶器市|益子大陶器市]]」が開催され、500を越える店舗が出て賑わっている。
 
==歴史==
益子焼は[[江戸時代]]末期、[[嘉永]]年間に[[常陸国]][[笠間藩]](現[[笠間市]])で修行した[[大塚啓三郎]]が益子に窯を築いたことによりはじまったとされる。当初は[[水がめ]]・[[火鉢]]・[[壺]]などの日用品が主に製作されていたが、[[1927年]]より創作活動を開始した[[濱田庄司]]によって[[花器]]・[[茶器]]などの民芸品が作られるようになり、全国に知られることとなる。[[1979年]]には通商産業省(現:[[経済産業省]])より、[[伝統工芸品|伝統的工芸品]]に指定された。また、[[イギリス]]の陶芸家[[バーナード・リーチ]]などの普及活動によって、海外での評価も高い。
* [[江戸時代]]末期 - [[笠間市|笠間]]で修行した[[大塚啓三郎]]が益子に窯を築いたことにより「益子焼」が始まったといわれている。
* [[1927年]] - [[濱田庄司]]が益子に定住し創作活動を開始。民芸的な作風によって益子焼の名が全国に知れ渡るきっかけとなった。
* [[1979年]] - 通商産業省(現:[[経済産業省]])より、[[伝統工芸品|伝統的工芸品]]に指定された。
 
==特徴==
益子焼は石材粉や古鉄粉を[[釉薬]]にし、犬毛筆で色づけを行う為、重厚な色合いとぼってりとした肌触りに特徴がある。また、材料の性質上割れやすく、重いという欠点もある。
===著名な作家===
 
===著名な作家===
* [[濱田庄司]]
* [[島岡達三]]
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* [http://www.mashikoyakikyouhan.jp/ 益子焼窯元共販センター]
 
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[[category:伝統的工芸品 (経済産業大臣指定品)]]
 
[[category:伝統的工日本の陶品 (経済産業大臣指定品)|ましこやき]]
[[category:日本栃木県陶芸|ましこやき文化]]
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[[category:栃木県の文化|ましこやき]]
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