「勢力均衡」の版間の差分

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特に勢力均衡を国家戦略として用いたのが「[[イギリス帝国|大英帝国]]」と呼ばれた時期の[[イギリス]]であり、イギリスの基本的国益である独立と貿易の安定化のために、交易国たる小国の独立維持に積極的関心を強めた。イギリスは小国の独立を脅かす国はすべて敵国であるという姿勢で臨み、そのため、勢力均衡のためには自国の軍事力を高く維持するという独特な勢力均衡政策がとられたのである。
 
[[19世紀]]のイギリス[[外相]]であった[[ジョン・ラッセル]]は勢力均衡について、ヨーロッパでは要するに数か国の独立を意味すると述べている。均衡関係とは必ずしも友好関係の有無やその程度を示すものではないが、このラッセルの認識は自国の存立や[[国益]]の確保のみならず、近隣諸国との相互に等質性そのものに意義を置いていることがわかる。この勢力均衡が[[安全保障]]の主流であった時代においては、世界における安全保障の中心はあくまで自国の[[国家]]、[[国民]]、[[領土]]、そして国益の確保を主な使命とする個別安全保障にあった。ヨーロッパにおいては文化的統一性や武器による殺傷能力の限界から勢力均衡が戦争の激化を避けるに至っていることから、勢力均衡体制は当時の[[政治家]]、[[外交官]]、国際法学者の間では評価されたモデルである。[[勢力]]
 
==特徴==