「スピード測定器」の版間の差分

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[[広島東洋カープ]]の前オーナーだった故・[[松田耕平]]が[[1976年]]秋の教育リーグの土産としてアメリカから持ち帰り、[[スカウト]]の[[木庭教]]に渡して、木庭が使用したのが最初である。初期の型は非常に大きな物で、バックネット裏で木庭が[[鞄]]から取り出して構えると、周りにいた他球団のスカウトが「何だ、あれは」と驚くほどの大きさだった。他球団もこれを採用し、[[智辯学園高等学校|智弁学園]]・[[山口哲治]](元[[近鉄バファローズ|近鉄]])との投げ合いで[[高校野球|甲子園]]を沸かせた[[中日ドラゴンズ|中日]]・[[小松辰雄]]が[[1979年]]、高卒新人ながら、剛速球を投げたため、各テレビ局がスピードガンによる球速をテレビ画面に表示した。小松が、150キロを連発したことで大きな話題を呼び一般的に定着した。もちろん球の速さだけが、好投手の条件では無いが、大きな要素であることは間違いない。登場当初は平均球速を表示する局もあれば[[フジテレビジョン|フジテレビ]]及び[[東海テレビ放送|東海テレビ]]のように球速でも投げ始めの初速、および捕手がキャッチする寸前の終速をそれぞれ表示していた時期もあったが、現在では全てのテレビ局が初速のみを表示している。プロ球団の本拠地球場にも備え付けのスピードガンが設置されており、これも初速が計測され、スコアボードに表示されるようになっている。
 
==甲子園大会におけるスピードガンの導入==
[[高校野球]]の甲子園大会では[[毎日放送]]が[[第51回選抜高等学校野球大会]]([[1979年]])のテレビ中継から導入しているが、同じく中継を行う[[日本放送協会|NHK]]は「高校野球中継での球速表示はアマチュア精神の冒涜だ」という理由で長らく採用せず、[[21世紀]]になってようやく採用した。また、高校野球における[[阪神甲子園球場#スコアボード|甲子園球場のスコアボード]]での球速表示も21世紀になって採用された。これ以前は、スカウトがスピードガンを球場に持ち込むことが多く、甲子園大会の球速記録の多くは、テレビのものではなくスカウトのガンによるものであった。そのため、複数のスカウトのガンと球場のガンの中で最も球速を計測したものが記録として採用されることが多かった。しかし、スコアボードに表示されるようになると[[スポーツ誌]]などは球場のものを優先して報道するようになった。採用以前と採用以後の甲子園大会における球速記録はさほど変わりがないが、テレビの表示で145キロ以上を記録した投手は最近増えている傾向にある
 
 
==関連項目==