「田中賢介」の版間の差分

差し戻し。ついでに注意テンプレート貼り付け。2008年の成績・動向はシーズン後でもいいはずです。
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{{野球選手記事}}{{Infobox baseball player
|選手名 = 田中 賢介
|英語表記 =
* [[2006年]]は開幕1軍に入り、開幕から代走・守備固めで起用される。[[二塁手]]には新外国人の[[マシーアス]]がレギュラーとして固定されていたが成績を残せなかった。不振のマシーアスや[[木元邦之]]、ルーキーの[[川島慶三]]らとセカンドのポジションを争ったすえ、5月上旬から二塁手に定着し、同月下旬から2番に定着。初の規定打席に到達し[[打率]]3割、リーグ最多[[犠打]](34個)、21[[盗塁]]を記録。[[日本選手権シリーズ|日本シリーズ]]でも最多記録に並ぶ6犠打(5試合では史上最多)を記録して日本一に貢献した。二塁手として[[ゴールデングラブ賞]]、[[ベストナイン]]を受賞。失策は11を数え、パリーグ二塁手部門ではワーストであった。またオフに[[2004年]]の骨折の際に右足に埋め込んだプレートの除去手術をした。
 
* [[2007年]]は開幕から打撃不振に苦しみ、最終的に打率.255と前年の.301から大きく率を落とすが、全144試合に出場。シーズン歴代3位タイとなる58犠打、[[盗塁]]も自己最多の27個を記録し、2年連続で[[ゴールデングラブ]]、[[ベストナイン]]を受賞。日本シリーズでは18打数1安打に終わったが、オフの契約更改では球団からリーグNo.1二塁手の評価を受け、「近い将来3番を打ちたい」と希望していた。[[2008年]]シーズンからは3番を打つ機会も出てきている
 
== 略歴 ==
* [[イースタン・リーグ]]時の記録を含め、通算4本の[[サヨナラゲーム|サヨナラ]][[本塁打]]を記録している。一軍では[[2005年]][[9月28日]]のシーズン最終戦([[千葉ロッテマリーンズ]]戦、[[薮田安彦]]から)と[[2006年]][[6月30日]]([[東北楽天ゴールデンイーグルス]]戦、[[小倉恒]]から)の2本。
* [[応援歌]]は「け~んすけ~」というコールを3回繰り返し、本編を演奏する。入団から期待されながらなかなか頭角を現せなかったため応援歌の歌詞に「僕らは待つよ 輝く瞬間」と入れられているが、レギュラーに定着してからもその歌詞は変わっていない。
* 子供の頃兄に憧れて左打ちに変えるまでは右打ちであったが、実は左利きである{{要出典}}。
 
== 登場曲 ==
2,580

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