「金砂城の戦い」の版間の差分

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'''金砂城の戦い'''(きんさじょうのたたかい)とは[[治承寿永の乱]]のうちの一つで、[[源頼朝]]率いる軍と[[常陸国|常陸]][[佐竹氏]]との戦いである
 
[[源頼朝]]率いる軍と常陸佐竹氏との戦いである。
== 概要 ==
[[治承]]4年10月、[[富士川の戦い]]に勝利した源頼朝は敗走する[[平家]]を追撃すべしと命じるが、[[上総介広常]]、[[千葉常胤]]、[[三浦義澄]]らが、まず佐竹氏を討つべきと主張した。その意見を取り入れた頼朝は平家追撃を諦め佐竹討伐に向かうことにする。
 
10月27日、頼朝は軍勢を引き連れ佐竹氏のいる常陸に向かって出発する。11月4日頼朝は常陸国府に入る。そこで軍議が開かれた。
 
まず、佐竹一族の一人[[佐竹義政]]が謀略により暗殺された。次に[[金砂城]]にこもる[[佐竹秀義]]らに対して総攻撃が仕掛けられる。佐竹氏の守りは強固であることを見た頼朝軍は翌5日金砂城には入城していなかった秀義の叔父佐竹義季を味方につくよう勧誘する。義季は上総介広常の薦めに従い、頼朝軍に加わって金砂城を攻撃した。城のつくりに詳しい義季の案内で金砂城は攻め落とされた。
その後、城を守っていた秀義は奥州(または常陸奥郡)の花園城へと逃亡した。
 
その後、城を守っていた秀義は[[陸奥国|奥州(]](または常陸奥郡)[[花園城]]へと逃亡した。
 
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[[Category:治承・寿永の乱]]
 
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