「防疫給水部」の版間の差分

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==組織==
本部は現在の[[新宿区]]戸山にあった陸軍軍医学校に置かれ、[[中華民国|中国]]を中心とするアジア各地の拠点ごとに防疫給水部が置かれた。[[北支那方面軍|北支那防疫給水部]]([[北京市|北京]]:甲第1855部隊)、[[中支那方面軍|中支那防疫給水部]]([[南京]]:栄第1644部隊)、[[南支那方面軍|南支那防疫給水部]]([[広州市|広州]]:波第8604部隊)、[[南方軍 (日本軍)|南方軍防疫給水部]]([[シンガポール]]:岡第9420部隊)などである。本部は、陸軍参謀本部に帰属すると同時に、陸軍軍医学校にも帰属しており防疫研究室と呼ばれた。
 
世界的に有名なものは[[石井四郎]]隊長が率いる関東軍防疫給水部([[満州]]:第691部隊)の'''[[731部隊]]こと給水部本部であり、中国人やモンゴル人、朝鮮人、ロシア人の捕虜を使った[[人体実験]]を行い少なくとも3000人以上を殺した'''。1940年から1942年にかけて[[井本熊男]]の作戦の元、ペスト菌を中国にばらまくことになる。1945年8月、大本営作戦参謀[[朝枝繁春]]は、731部隊の石井四郎隊長に会い、「人間を使って細菌と毒ガスと凍傷の実験をやったことが世界にばれたらえらいことになり、(戦犯訴追が)直に[[天皇]]に来る。貴部隊の過去の研究ならびに研究の成果、それに伴う資材、一切合財を完璧にこの地球上から永久に抹殺・消滅・証拠隠滅してください」と告げたと答えている。施設は証拠隠滅のため根こそぎ爆破、'''400人を超える人体実験のため収容されていた中国人らは全員が毒ガスで殺され、死体を焼き、その灰は川に流された。'''