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'''飯島 直子'''(いいじま なおこ、[[1968年]][[2月29日]] - )
学歴:私立[[大東学園高等学校]]卒業。
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[[1989年]]、[[カネボウ]][[水着キャンペーンガール]]に選ばれる(活動は1990年)。1990年には[[麒麟麦酒|キリンビール]]、[[宇部興産]]のキャンペーンガールも務め、翌1991年には[[キグナス石油|キグナス]][[フォーミュラ3000|F3000]]のキャンギャルとなる。この頃[[ヌード]]写真集を出したこともある。
[[1991年]]、ドラマ『マスカット ムーン』で俳優デビュー。年末には映画デビューと積極的に活動の範囲を拡げてゆく。この年から出演していた深夜番組『[[DAISUKI!]]』では当初([[司会]]が[[吉村明宏]]の当時)は殆ど喋る事は無かったが、司会が[[中山秀征]]に代わったあたりから徐々に慣れてきたのか,その明るいキャラクターが人気となり、その後もよくバラエティ番組に出演。その後も中山とは、他の番組でも度々共演するようになり、のちに二人は結婚するんじゃないか?との噂まで浮上した。結婚には至らなかったが、それくらい仲が良くなったとの事。
[[1992年]]、10月から[[生放送]]されていた[[お色気番組]]『[[スーパーJOCKEY ]]』レギュラーになり、熱湯コマーシャルの司会アシスタントを務めるようになる。
歌ゲストに[[C.C.ガールズ]]が居た時に熱湯挑戦者で自分達に関する事を宣伝してくれる人が来たのに、ルーレットにネームプレートを貼る事を嫌がっていたC.C.ガールズに対し「すいません(これは番組の)仕来たりなんです!」と発言し、メイン進行者の[[ガダルカナル・タカ]]はこの発言に大絶賛する。
また、この発言がキッカケでその日に来た熱湯挑戦者がレギュラー出演者やゲストに少しでも関係するような事があれば、強制的に熱湯ルーレットに参加(当たれば勿論、入湯)する事が定番化されるようになった。
(
直子が嫌っていたと言われていた[[飯島愛]]([[2007年]][[3月]]を持って芸能界を引退)との共演はほとんどなかったが、[[1994年]][[10月30日]]に同番組で数少ない共演を果たした。
ちなみに飯島愛の[[芸名]]の由来はかつての所属事務所の社長が直子の大ファンだったためだと言われている。
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[[1997年]]、ロックバンド・[[TUBE]]の[[前田亘輝]]と結婚するも01年に離婚。離婚後は女優の傍ら、音楽番組『[[アリゾナの魔法]]』(2004年4月9日~2005年3月25日に日本テレビ放送網系で毎週金曜日23:00~23:30(JST) に放送していた)で司会役を務めたこともあり、以前にも増して活躍中である。
夜中に[[和田アキ子]]からの電話に「誰だ!!テメェー!!」と20分も押し問答をしたことでも有名(飯島自らバラエティーで語っている)。飯島は「俺だよ!俺!」と言われたために男だと思い込んでいた{{要出典}}。
中学3年生の通知表(2学期)でオール1をとったことがある。[[明石家さんま]]から「一番大事な時やないか!」と突っ込まれた{{要出典}}。
== 主な出演 ==
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