「イサーク・ティチング」の版間の差分

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ティチングは乾隆帝の治世60年記念式典のため北京の宮殿に赴くオランダ大使に任命された。この時の宮殿内の模様はオランダ系アメリカ人アンドレアス・エベラルドゥス・ファン・ブラーム・ホックヘースト、[[フランス]]大使クレティアン・ルイ・ジョセフ・デ・ギーニュ、ティチング代表団らの各大使館員達の記述を元にヨーロッパと[[アメリカ合衆国|アメリカ]]で出版された。
 
ティチングらはヨーロッパ人が今まで許されなかった中国奥地への旅を許可されたが、[[広東]]から[[北京市|北京]]に至る真冬の旅は彼らを大きく疲弊させるものであった。ティチング一行は[[新年]]の式典に間に合うように北京に到着。中国側の案内でティチングと使節団は稀に見る敬意を払われ[[紫禁城]]に入って儀礼を行いその後、[[円明園]]に入った。
 
[[ジョージ・マカートニー]][[伯爵]]以後のイギリス大使の失敗を好まなかったティチングは事前に皇帝への[[三跪九叩頭の礼]]を含めた複雑な宮殿作法の要求を言い含める努力に勤めた。しかしティチング一行が来世紀の[[阿片戦争]]終結まで中国の宮殿に姿を現した最後のヨーロッパ使節団になるとは中国人もヨーロッパ人も思っていなかった。