「アエトリア同盟」の版間の差分

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この同盟の目的は勃興激しかった[[アンティゴノス朝マケドニア]]に対するギリシア諸都市の同盟であった。同盟内部では複雑な都市同士の関係があり、全ての加盟都市の代表は一年に2回集まる事にはなっていたが、加盟都市ごとに同盟に対する依存度は異なり、必ずしもまとまった外交、軍事が得られなかった。また、この同盟の加盟都市には共通した度量衡、税制を採択する事が求められていた。
[[マケドニア戦争]]の折り、アエトリア同盟都市は[[共和政ローマ]]の側に立ち、結果ローマは[[アンティゴノス朝]]の[[フィリッポス5世]]を敗った。しかしながら数年後にはローマがよりギリシアに関与するようになると、徐々にローマの動きを危惧うるようになり、[[セレウコス朝|セレウコス朝シリア]]の[[アンティオコス3世]]と接近、そして[[紀元前189年]]にアンティオコス3世がローマに敗れるとアエトリア同盟は同盟の求心力を失い、同盟単独で対ローマの姿勢を保つ事が不可能となり、ローマに追従する姿勢を余儀無くされた。以降、同盟自体は存続するものの、事実上の役割は終えた。
 
==関連項目==