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'''走り坊主'''('''はしりぼうず'''、[[1872年]]([[明治]]5年)-[[11月20日]])ー [[19201918年]]([[大正]]97年)[[11月20日]])とは、[[明治時代|明治]]・[[大正時代]]の[[京都市]]中を一日中走るという奇行で知られた[[僧]]である。本名は新田常治(にった つねじ)、法名を旗玄教(はた げんきょう)というが、「'''走り坊主'''」「'''走り坊さん'''」「'''常さん'''」の通称で親しまれた。
 
== 生涯 ==
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その生活は、大飯食らいで大酒飲みで、一日に米1升、酒1升、餅1升を飲み食いしていたといい、正月の[[雑煮]]の餅は50くらいは訳もなかったと伝えられる。彼が三度の食事に使った朱塗りの大椀が没後も残されていた。ただ、女性には全く興味がなく、言い寄る女性があっても、信徒のお布施とお斎を済ませれば、「はい、さようなら」と一目散にまた走り出したという。酒には目がなく、酔っ払って走り、電柱に鼻柱をぶつけたり、交番に連れて行かれたこともあったが、「走り坊主」であることが判明すると、難なく放免されたという。
 
19201918年(大正97年)11月20日、日本中を席捲した[[流行性感冒]]によって亡くなった。感冒によって病に臥した後も、飲酒をやめることなく、飲み通して亡くなったという。
 
== 評価 ==