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Sat.K (会話 | 投稿記録)
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大関不在時に横綱力士が「[[横綱大関]]」としてその地位を兼ねるが、この時「横綱大関」となるのは正横綱である。例えば[[1981年]](昭和56年)9月場所では、東横綱大関[[北の湖敏満|北の湖]]、西横綱大関[[千代の富士貢|千代の富士]]、東張出横綱[[若乃花幹士 (2代)|若乃花]]という番付だった。正横綱が大関の地位を兼ねるのに、下位であるはずの張出横綱がそうではないのはおかしいのではないかという声もしばしばあがり、「横綱大関」経験者の中にも腑に落ちなかったという言葉が残る。また、[[1955年]](昭和30年)1月と3月には、4横綱1大関という時期があり、その時の順位は、東正横綱、西正横綱(「横綱大関」ではなかった)、西横綱2番手(張出ではなく正規の欄内に書かれた)、東張出横綱という順位だった。
 
[[1994年]](平成6年)7月場所より同じ地位に3人以上の力士が出ても番付表から張り出さず、通常の部分に連記されることになった。現在の制度としては「張出」は存在せず、「小結・2」「関脇・2」や「小結2枚目」・「関脇2枚目」と呼ばれている。しかし、昔からの相撲ファンは今でも、同じ地位で最上位の力士を「正~」、次位以降の力士を「張出~」と呼んでしまう場合がある。
 
== 関連項目 ==