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[[Image:Weygand9fp.jpg|200px|right|thumb|マキシム・ウェイガン]]
[[フランス]]の[[軍人]]。[[ベルギー]]の[[ブリュッセル]]に生まれ、[[外国]]籍のまま[[サン・シール陸軍士官学校]]に入学し、1888年フランスに[[帰化]]。[[第一次世界大戦]]に[[フォッシュ]][[元帥]]の[[参謀長]]として偉功をたてた。1920年[[ロシア赤軍]]の反攻にさらされた[[ポーランド]]に軍事[[顧問]]として派遣され、同国の危機を救った。23年[[シリア]][[高等弁務官]]、30年陸軍参謀総長と要職を歴任し、35年退役したが、[[第二次世界大戦]]勃発とともに39年近東軍総司令官に復帰。40年5月敗色の濃い中で連合軍総司令官に就任したが、[[ドイツ]]との休戦を主張し、同年[[ペタン]]対独協力[[政府]]の国防相、ついで北[[アフリカ]]軍総司令官となった。[[ド・ゴール]]にもドイツにも協力を拒んだため、42~45年ドイツに抑留され、戦後は対独協力の容疑をかけられたが48年無罪となった。1931年以来の[[アカデミー・フランセーズ]]の会員で「フランス陸軍史」「回顧録」などの著書がある。
'''マキシム・ウェイガン'''(Maxime Weygand、[[1867年]][[1月21日]] - [[1965年]][[1月28日]])は[[フランス]]の[[軍人]]。
 
[[ベルギー]]の[[ブリュッセル]]に生まれ、[[外国]]籍のまま[[サン・シール陸軍士官学校]]に入学し、1888年フランスに[[帰化]]。[[第一次世界大戦]]に[[フェルディナン・フォッシュ]][[元帥]]の[[参謀長]]として偉功をたてた。
 
[[フランス]]の[[軍人]]。[[ベルギー]]の[[ブリュッセル]]に生まれ、[[外国]]籍のまま[[サン・シール陸軍士官学校]]に入学し、1888年フランスに[[帰化]]。[[第一次世界大戦]]に[[フォッシュ]][[元帥]]の[[参謀長]]として偉功をたてた。1920年[[ロシア赤軍]]の反攻にさらされた[[ポーランド]]に軍事[[顧問]]として派遣され、同国の危機を救った。231923年[[シリア]][[高等弁務官]]、301930年陸軍参謀総長と要職を歴任し、351935年退役したが、[[第二次世界大戦]]勃発とともに391939年近東軍総司令官に復帰。401940年5月敗色の濃い中で連合軍総司令官に就任したが、[[ドイツ]]との休戦を主張し、同年[[フィリップ・ペタン]]対独協力[[政府]]の国防相、ついで北[[アフリカ]]軍総司令官となった。[[シャルル・ド・ゴール]]にもドイツにも協力を拒んだため、42~451942年から1945までドイツに抑留され、戦後は対独協力の容疑をかけられたが481948年無罪となった。1931年以来の[[アカデミー・フランセーズ]]の会員で「フランス陸軍史」「回顧録」などの著書がある
 
1931年以来の[[アカデミー・フランセーズ]]の会員で「フランス陸軍史」「回顧録」などの著書がある。
 
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[[Category:フランスの軍人]]
[[Category:1867年生]]
[[Category:1965年没]]
 
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[[ru:Вейган, Максим]]
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