「遍照寺 (真岡市)」の版間の差分

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県指定
*'''本尊金剛界大日如来''' 昭和36年指定
 像高51cm 膝開45cm 台座33cm。[[南北朝時代 (日本)|南北朝時代]]([[貞和]]2年・[[1346年]])[[法印]][[康誉]]([[運慶]]五代の孫)作。寄木造り。
*'''[[中村城 (下野国)|中村城]]跡''' 昭和35年指定
 中納言山陰10代の孫、高松院蔵人中村常陸介[[藤原朝宗]](後の[[中村朝宗]])。
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*'''遍照寺文書''' 平成12年指定
 
[[室町時代]]の文書は[[古河公方]][[足利成氏]]書状二点、 [[足利政氏]]書状二点、[[結城晴朝]]書状一点の五点で、 祈祷の礼状や遍照寺の後任[[住持]]の承認など。 [[江戸時代]]の文書は[[水谷氏]]家老[[鶴見内蔵助]]書状の 一点で、いわくつきの不動明王を[[備中]][[松山]]から 遍照寺に返還する際の添状などである。
 
== 天然記念物・名木 ==