「黄公望」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
m →略歴 |
編集の要約なし |
||
4行目:
1269年、[[蘇州]](現・[[江蘇省]])常熟に生まれる。両親が早世したため、[[浙江省]][[温州]]の黄家に養子に出され、黄家で十分な教育を受け育つ。
黄は才能はあったが、元代は[[士大夫]]の登竜門であった[[科挙]]が不定期にしか実施されず、行われたとしても旧南宋領域の住人(所謂「[[南人]]」)には著しく不利であったため長らく官に就けず、40歳を過ぎて初めて蘇州の属吏となるも、程なく黄自身は無関係の徴税不正事件に連座して失職し、官界での前途
その後
79歳の頃、浙江省[[富陽]]に移住、この地で描かれた「[[富春山居図]]」は史上最高峰の水墨画として知られている。
{{DEFAULTSORT:こうこうほう}}
|