「ムハンマド風刺漫画掲載問題」の版間の差分

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== 問題の拡大 ==
[[画像:Caricaturemap corrected.PNG|thumb|right|290px|オレンジは戯画の再掲載を行った新聞が存在する国。丸印は面積が小さいため地図に反映されない国又は地域を示す。]]
[[2006年]]に入ると問題は拡大し、[[口コミ]]や携帯電話の[[ショートメッセージサービス]](SMS)で風刺画問題や抗議の呼びかけが広がった。[[シリア]]や[[レバノン]]では、1月末から大規模な抗議運動に発展した。これらの国でデンマーク大使館や領事館に対するデモや放火が起こり、イスラム諸国でデンマーク製食品などの不買運動に拡大した。これに対し、欧州各国の新聞、雑誌が「表現の自由をあくまで擁護する」との立場からこれらの風刺画が相次いで転載したことにより、世界中のイスラム社会にさらに大きな憤慨を巻き起こした。[[偶像崇拝]]において一番にタブー視されていることは対象となる者の顔を描く事である。ムハンマドを描くこと自体でも十分問題ではあるがその顔を描いた事に対しイスラム教徒は多大な憤りを覚えている。風刺の内容も彼らにとって無論侮辱的ではあるが、それ以上にムハンマドを描いたという事に対し憤慨していると解釈するのが妥当であろうとする説もある。しかし実際にはイスラム世界でもムハンマドの肖像画は数は多くないとはいえ描かれていたため、これを疑問視する声もある。(中央アジア・イランでのテュルク・モンゴル系のイスラム政権では14世紀以降、挿絵入りの歴史書や預言者伝、聖者伝などが大量に作成されたが、そこにはムハンマド自身の姿も描かれた。預言者ムハンマドや聖者([[ワーリー]])の奇蹟譚は広く愛好・賞揚された。例えば[[イルハン朝]]後期に[[ラシードゥッディーン]]によって編纂された世界史『[[集史]]』の預言者ムハンマドの伝記についての部分では、ムハンマド自身も描かれている。この種の挿絵写本の伝統は[[ティムール朝]]、[[サファヴィー朝]]、[[オスマン朝]]、[[ムガル朝]]などへも受け継がれた。)脚注リンク先の画像なども参照。<ref>[http://commons.wikimedia.org/wiki/Image%3AMuhammad_5.jpg 天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド]<br/>[http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Mohammed_kaaba_1315.jpg カーバ神殿の黒石を聖別するムハンマド]<br/>[http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/be/Muhammad_face.gif ティムール朝時代に書かれた『ミウラージュ・ナーマ』のミウラージュの奇蹟におけるムハンマドの地獄下りの場面。右に人頭の天馬ブラークに跨がる人物がムハンマド]</ref>
 
[[偶像崇拝]]において一番にタブー視されていることは対象となる者の顔を描く事である。ムハンマドを描くこと自体でも十分問題ではあるがその顔を描いた事に対しイスラム教徒は多大な憤りを覚えている。風刺の内容も彼らにとって無論侮辱的ではあるが、それ以上にムハンマドを描いたという事に対し憤慨していると解釈するのが妥当であろうとする説もある。しかし実際にはイスラム世界でもムハンマドの肖像画は数は多くないとはいえ描かれていたため、これを疑問視する声もある。(中央アジア・イランでのテュルク・モンゴル系のイスラム政権では14世紀以降、挿絵入りの歴史書や預言者伝、聖者伝などが大量に作成されたが、そこにはムハンマド自身の姿も描かれた。預言者ムハンマドや聖者([[ワーリー]])の奇蹟譚は広く愛好・賞揚された。例えば[[イルハン朝]]後期に[[ラシードゥッディーン]]によって編纂された世界史『[[集史]]』の預言者ムハンマドの伝記についての部分では、ムハンマド自身も描かれている。この種の挿絵写本の伝統は[[ティムール朝]]、[[サファヴィー朝]]、[[オスマン朝]]、[[ムガル朝]]などへも受け継がれた。)脚注リンク先の画像なども参照。<ref>[http://commons.wikimedia.org/wiki/Image%3AMuhammad_5.jpg 天使ジブリールから啓示を受けるムハンマド]<br/>[http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Mohammed_kaaba_1315.jpg カーバ神殿の黒石を聖別するムハンマド]<br/>[http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/b/be/Muhammad_face.gif ティムール朝時代に書かれた『ミウラージュ・ナーマ』のミウラージュの奇蹟におけるムハンマドの地獄下りの場面。右に人頭の天馬ブラークに跨がる人物がムハンマド]</ref>
 
[[リビア]]、[[サウジアラビア]]、[[シリア]]の在デンマーク大使は本国に召還された。[[イラン]]はこれを受け、デンマークとの一切の通商を断絶すると発表した。2006年[[2月6日]]にはイランの[[首都]][[テヘラン]]の[[オーストリア]]、デンマーク両[[大使館]]に[[デモ]]隊が殺到し、[[火炎瓶]]などを投げつけた。また[[アフガニスタン]]や[[パキスタン]]、[[リビア]]、[[ナイジェリア]]などのデモでは、鎮圧する警察などとの間に激しい争いがおき、死者が出る騒ぎになったほか[[キリスト教]][[教会]]も襲撃された。デモでは、デンマークや風刺画を転載した欧州諸国のみならず、[[アメリカ合衆国]]もデモの対象になった。デンマークはこのデモでイスラム圏にいる国民に退去を呼びかけたが、不買運動を通じ農産品・食品などの輸出に多くの損害を出した。
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