「吉田簑助」の版間の差分

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[[1940年]]6月に3世[[吉田文五郎]]に入門し[[1942年]]3月に桐竹紋二郎と名乗る。翌年初舞台。[[1948年]]8月に2世[[桐竹紋十郎]]門下となる。[[1961年]]6月3世吉田簑助を襲名。1970年に芸術選奨新人賞を受賞。[[1994年]]に[[人間国宝]]に認定。1996年には紫綬褒章、1997年には芸術院賞を受賞した。1998年に[[脳出血]]のため楽屋で倒れたが過酷なリハビリの末、翌年夏の公演で奇跡的にカムバックした。2006年には5度目のフランス公演を行い、2007年にはフラン政府より芸術文化勲章コマンドゥールを受賞した。弟子に三世桐竹勘十郎がいる。
文楽を代表する立女形として有名。
 
※文楽に出演する人たちを技芸員と呼びます。人形遣いの「みの」の字は「衰」ではなく「簑」です。
 
== 著書 ==