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'''森 衆利'''(もり あつとし、[[延宝]]元年([[1673年]]) - [[宝永]]2年[[10月3日 (旧暦)|10月3日]]([[1705年]][[11月18日]]))は[[江戸時代]]の[[大名]]。[[美作国|美作]][[津山藩]]の第5代藩主。[[赤穂藩]]森家5代。

2代藩主[[森長継]]の24男。官位は、不詳。
 
[[元禄]]10年([[1697年]])6月20日、4代藩主[[森長成]]は27歳の若さで死去。実子なく関家の養子になっていた衆利が森姓に復し、[[末期養子]]に立てられた。将軍拝謁の為の道中、同年7月11日、[[伊勢国]]桑名にて幕政を批判して発狂してしまった。酒の席でのことと家臣は弁明をしたが、[[桑名藩]]より詳細な報告が幕府に入り裁定により8月2日に[[改易]]となってしまった。この時、まだ隠居の森長継が存命だったので、聞こえおぼしき家柄である為、特別に再勤を命じられ、[[赤穂藩]]2万石を与えられ子孫は同藩主として存続する。
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その後、宝永2年(1705年)に33歳で死去した。
 
{{先代次代|[[津山藩|森氏(津山藩5代)藩主]]|1697年 - 1697年|[[森長成]]|[[松平宣富]]}}
 
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