「ラリサ・ネーランド」の版間の差分

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|デビュー年=1983年
|引退年=2000年
|ツアー通算=6867
|シングルス=2勝
|ダブルス=6665
|生涯通算成績=1088勝481541
|シングルス通算=322勝283敗
|ダブルス通算=766勝258敗
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|全米オープン=ベスト8(1988)
|優勝回数=
|シングルス最高=1358
|ダブルス最高=1位
}}
'''ラリサ・サブチェンコ・ネーランド'''('''Larisa Savchenko-Neiland''', [[1966年]][[7月21日]] - )は、[[ラトビア]]の元女子プロ[[テニス]]選手。[[ウクライナ]]・[[リヴィウ]]生まれ。旧[[ソビエト連邦]]の時代から活動し、[[ソ連崩壊]]後は[[ラトビア]]・[[ユールマラ]]に住んだ。彼女はダブルスの名手として長く活躍し、[[WTA]]ツアーでシングルス2勝、ダブルス6665勝を挙げ、[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]でも女子ダブルス2勝・混合ダブルス4勝を達成した。旧姓「ラリサ・サブチェンコ」(''Larisa Savchenko'')というが、[[1989年]]にアレックス・ネーランド(Alex Neiland)と結婚した。結婚後の彼女は、夫の姓だけで「ラリサ・ネーランド」('''Larisa Neiland''')と呼ばれることが多いが、本記事では旧姓を併記した「ラリサ・サブチェンコ・ネーランド」の名前で記述する。
 
ラリサ・サブチェンコのテニス経歴は、旧[[ソビエト連邦|ソ連]]時代の[[1983年]]から始まる。[[1988年]]、彼女は[[1988年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]で同じソ連の[[ナターシャ・ズベレワ|ナタリア・ズベレワ]]とペアを組んで初の女子ダブルス決勝に勝ち進み、[[シュテフィ・グラフ]]&[[ガブリエラ・サバティーニ]]組と熱戦を繰り広げた。ソ連ペアは 3-6, 6-1, 10-12 で敗れ、グラフが単複2冠を獲得した。続く[[1988年全米オープンテニス|全米オープン]]で、サブチェンコは初めてシングルス準々決勝に進出したが、第5シードのサバティーニに 6-4, 4-6, 1-6 の逆転で敗れた。[[1989年]]5月、サブチェンコはシングルスの自己最高ランキング「13位」を記録する。この年はズベレワとのダブルスで、[[1989年全仏オープンテニス|全仏オープン]]決勝でグラフ&サバティーニ組に 6-4, 6-4 で快勝し、初めての[[グランドスラム (テニス)|4大大会]]タイトルをここで獲得したが、[[1989年ウィンブルドン選手権|ウィンブルドン]]決勝では[[チェコスロバキア]]ペアの[[ヘレナ・スコバ]]&[[ヤナ・ノボトナ]]組に 1-6, 2-6 で完敗し、2年連続準優勝で止まった。同年暮れの1989年12月21日、ラリサ・サブチェンコはアレックス・ネーランドと結婚した。