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== 現実社会の中の異界 ==
==== 刑務所 ====
[[やくざ]]のあいだでは、[[刑務所]]の中に対して、外の社会を[[娑婆]]という。娑婆とは普通の人が暮らしている「この世」のことであるから、刑務所の塀の中を「あの世」つまり異界と見なしているわけである。実際、服役囚たちは、携帯電話もパソコンもつかえず、手紙のやりとりも検閲があるなど、一般社会からは著しく隔離されている。
 
==== やくざ ====
そうした意味では、[[やくざ]]社会もまた異界の一つである。国民が社会生活を営むよりどころとしている法に対し、全く遵守する意思を持たず、独自の掟を持っている。また、一種の符牒である独特の[[やくざ言葉]]が使われている。東映のヤクザ映画や、やくざをテーマにしたエンターテインメント小説に人気があるのは、こうした違った価値観を持つ人たちの視点で社会を見るおもしろさがあるからだろう。
 
==== 隔離施設 ====
異界ものの小説として有名なものに、まず[[北条民雄|北條民雄]]の[[いのちの初夜]]を初めとする一連の作品がある。らい([[ハンセン病]])の[[隔離施設]]は、刑務所以上の異界である。囚人は刑期が開ければ出所できるが、重症のハンセン病患者は、死ぬまで外へ出られないからである。しかし、この作品群は、究極の状態に追いつめられた人間の心理を、鋭いタッチで描いている。
 
==== 被差別部落 ====
[[中上健次]]の「岬」や「枯木灘」など、関西などでは今でもしばしば問題になっている[[部落]]も異界といえる。
 
==== 盲人の社会 ====
障害者、とくに[[視覚障害者]]と[[知的障害者]]は、一般の人たちとのふれあいも少なく、また、ほとんどの人が就業できない「異界」の生活者である。[[谷崎潤一郎]]の「春琴抄」や「盲目物語」など、盲人が主人公になっている作品はあるが、さすがの文豪も、本当の盲人の視点というのはわからないようである。
 
盲人による、盲人をテーマとした優れた文芸作品はほとんどない。盲人が使っている点字は、オールひらがなであり、大半の盲人は漢字の知識がないからである。2006年に文芸社から出版された「虹の輪」は、さほど優れた作品ではないが、視覚障害者が自分の視点で書いたもので、山梨日日新聞の読書欄に、「障害を持つ人にしかわからない心の機微を誠実に描いている」という書評が掲載された。
 
==== 学校 ====
ビジネスマンから公立高校の校長になった[[大島謙]]は、民間企業の常識が通用しない教育現場を「異界」と表現している。これは教師の立場から見たものだが、フィクションにおいても学校が一般社会から隔離された独自の秩序を持つ世界として(もっぱら生徒の立場から)描写されることが多い。作品によっては、現実にはありえないほど巨大な学校([[蓬莱学園]]が代表例)や、全寮制などで一般社会との接点が限りなく少ない学校が舞台になることもある。