「燃えよドラゴン」の版間の差分

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*撮影に参加しているハンの部下のエキストラたちは、辺りにいたチンピラやヤクザを集めて撮影された。おかげで撮影現場は不穏な空気が漂っていたらしい。ハンの愛人のエキストラにも現役の[[娼婦]]がいた。
*撮影中、上記の中からブルース・リーに勝って名を上げようとする挑戦者が現れた事実がある(共演者ボブ・ウォールの証言、対戦中と思われる写真が存在する)。闘志剥き出しのリーに挑戦者は全く成す術が無かったらしい。そのため撮影中に漂っていた不穏な空気は一掃されたという。
*オハラ役のボブ・ウォールが割れたビンでリーに襲いかかるシーンを撮影中、誤ってリーの手首を負傷させるアクシデントが発生してしまった。出血が酷く、撮影現場は一時騒然となり、前述の事件ですっかりリーに心服していたエキストラ達からはウォールを殺せという声が上がるほどだった。結局、この騒動は監督のクローズが「ボブは必要な役者だから」と説得して収拾した。また以上はクローズ監督自身の自伝本で語られているが監督の売名のための作り話である可能性も否定できない。
*リーが地下に侵入する際にコブラを捕まえるシーンでも、リーはコブラを掴むタイミングを誤り腕を噛まれてしまった。幸いにも、コブラから毒は抜かれていたので傷だけで済んだ。
*スタジオ・セット等は殆ど現地の中国人スタッフによって作られ、プロデューサーのフレッド・ワイントロープもその技術に脱帽するほどだった。しかし、鏡の間のシーンでは割った鏡から新聞紙が見えてしまうという少々お粗末な部分がある。
*日本も含め世界的な大ヒットとなったが、地元香港では大スター死去の直後にもかかわらず、前作『[[ドラゴンへの道]]』(その時点の最高興行記録)を凌ぐまでには至らなかった。一連の興行成績についてプロデューサーらは「香港や中国の観客は、リーのような細身の田舎者が、日本人や屈強な白人を痛快に叩きのめすような内容の作風を望んでいたから」等と分析している。
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*劇中の戦闘シーンでリラックスしているエキストラや爆笑しているエキストラがいたことが[[フジテレビジョン|フジテレビ]]系の番組、「[[トリビアの泉]]」で取り上げられたが、同番組から問い合わせが来るまで、映画の制作者側もそのエキストラのことに気づかなかったらしい。
*武術指導助手を担当したのが、『[[霊幻道士]]』での道士役で有名な[[ラム・チェンイン]]である。当時若干21歳の若さであったが、リーからの絶対的な信頼とその腕、実力を認められての抜擢だった。米国公開版ではノンクレジットだが、香港公開版では、リーと共にその名を連ねている。ラムは、助手の他にも、あらゆる場面でのスタントも担当した。
*オープニングのために、少女がバイクでトーナメントの招待状を空港に届けるというシーンが撮影されたが、結局使用されず幻となった。しかし、この黄色いジャケットを着てバイクで香港の町を走り抜ける少女は、現在の完成版オープニングの中で2カットほど、見ることができる
*妹スー・リンの死因を語る老人は「リーの父親」と言われているが、劇中では「Old Man」と呼ばれており、親子関係が確認できる場面はない。
*妹スー・リンについても、実は「姉」ではないか、との説もあるが、ストーリー的には「妹の仇をとる」という復讐譚のほうが感情移入がしやすいかも知れない。
 
==香港公開版のみにあったシーンについて==