「腋臭症」の版間の差分

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ぎゅうひ (会話 | 投稿記録)
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==腋臭症における問題点==
日本社会では腋臭症を嫌う傾向がある。これは大半が[[モンゴロイド]]から構成される日本社会において腋臭形質を持つ者が少数派である上に、毎日[[風呂]]に入る文化的側面の影響もあり、過度の体臭は風呂に入っていない不潔な者であると判断する傾向にあるためである。
日本社会では腋臭症に対する嫌悪感情は年々増加している。それは日本人の清潔好きが理由であるともされているが、同時に、大半がモンゴロイド人種から構成される日本社会においては、腋臭形質を持つ者が少数派であるという事情もある。例えば、日本社会では、人を罵る際、「臭い」という言葉を投げつける事がある。しかし、統計の項目でわかるようにコーカソイド人種の一角を構成する白人や、大多数がネグロイド人種である黒人では、腋臭形質を持つ者が、腋臭形質を持たない者を上回り、ごく一般的な人体形質である。そのため日本社会であったなら腋臭症とされてしまう者が多数派であり、腋臭症であることを気にする人は日本と比べれば少ないし、むしろ異性にとって魅力的と感じられる体臭要素の一つとして扱われる事もある(古代中国の美女、[[楊貴妃]]が「体から良い匂いを発していた」というのは腋臭ではないかと言われている。これは、楊貴妃の腋臭を「臭くて、不潔なもの」ではなく「魅力的と感じられる体臭要素」と捉えていたと考えられる。実際に楊貴妃は清潔であった方で自分の為に作らせた風呂もあったほどである)。
 
しかし、[[コーカソイド]]や[[ネグロイド]]多数を占める社会では、腋臭形質を持つ者が腋臭形質を持たない者の数を上回るため、ごく一般的な人体形質である。そのため、腋臭症であることを気にする人は日本と比べれば少ない。西洋諸国で腋臭症の治療の大半が過剰な汗の量を抑えるのも目的としたものであり、日本のように臭いそのものをなくす目的の手術が行われる事は少ない。
現に、西洋諸国で腋臭症の治療の大半が過剰な汗の量を抑えるのも目的としたものであり、日本のように臭いそのものをなくす目的の手術が行われる事は少ない。つまり日本社会における腋臭症の扱われ方は、西洋諸国と比べればいささか厳しいとも言える。さらに、ほぼ毎日風呂に入るという一般的な日本人の習慣からすれば、過度の体臭は風呂に入っていないと見なされる為、腋臭症が不潔なものであるとする観念を持つ者が少なくなく、このことが、さらに腋臭症の人の肩身を狭くしている。本来人間の腋臭臭は一種の[[フェロモン]]として機能する体臭形質のひとつであり、上記のよう異性を引き付けるためのものであったり、縄張りを主張するためのものとして機能していた。これは、動物などにも多くみられる機能であるし、非モンゴロイド人種が多数派の社会では現在もそうした機能が残っている。たとえば、欧米社会における[[香水]]文化は、日本では体臭を誤魔化す為とされている傾向があるが、実際にはそれ以外にも、腋臭などの体臭を、より効果的に演出する発想と強く結びついている。
 
本来人間の腋臭は一種の[[フェロモン]]として機能する体臭形質のひとつであり、異性を引き付けるためのものであったり、縄張りを主張するためのものとして機能していた。これは、ヒト以外の動物に多くみられる機能であるし、非モンゴロイドが多数派の社会では現在もそうした機能が残っている。
 
たとえば、欧米社会における[[香水]]文化は、腋臭などの体臭をより効果的に演出する発想と強く結びついている。しかし、現代日本では上記の入浴習慣以外にも、[[香道]]のような微妙な[[臭い]]や[[味覚]]の違いを尊重する文化的側面から、体臭を誤魔化す方法と見なされる場合がある。
 
ただし、歴史的には[[モンゴロイド]]が多い文化でも、腋臭が異性にとって魅力的と感じられる体臭要素の一つとして扱われる事もある。古代中国の美女、[[楊貴妃]]が「体から良い匂いを発していた」というのは腋臭ではないかと言われている。これは、楊貴妃の腋臭を「臭くて、不潔なもの」ではなく「魅力的と感じられる体臭要素」と捉えていたと考えられる。実際に楊貴妃は清潔であった方で自分の為に作らせた風呂もあったほどである。
 
なお、日本では人を罵る際、「臭い」という言葉を投げつける事がある。また、体臭への嫌悪感情は年々増加しているといわれる。{{要出典}}
 
==併発する恐れのある疾患==