「藤堂高次」の版間の差分
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'''藤堂 高次'''(とうどう たかつぐ、[[
高虎にはなかなか実子ができなかったため、[[藤堂高吉]]([[丹羽長秀]]の子)を養嗣子として迎えていた。しかし高虎が46歳のとき、ようやく実子である高吉が生まれたのである。そして[[1630年]]、高虎が病死したため、その後を継ぐこととなった。
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'''藤堂 高次'''(とうどう たかつぐ、[[
高虎にはなかなか実子ができなかったため、[[藤堂高吉]]([[丹羽長秀]]の子)を養嗣子として迎えていた。しかし高虎が46歳のとき、ようやく実子である高吉が生まれたのである。そして[[1630年]]、高虎が病死したため、その後を継ぐこととなった。
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