「鄱陽湖の戦い」の版間の差分

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== 戦いの背景 ==
[[1355年]]、それまで盗賊とさほど変わらなかった朱元璋の軍は、南下して[[長江]]を越えて[[元 (王朝)|元朝]]支配の都市[[太平]]を奪い、次いで[[1356年]]に集慶(現在の[[南京市|南京]])を落として応天府と改名し、ようやく根拠地を得ていた。
ところが[[1360年]]、江州(現[[九江]])を根拠地として力を付けていた陳友諒に、太平を奪われてしまう。陳友諒はさらに応天府にまで攻め込むが、朱元璋の奇計により敗北する。これにより、これまで優勢であった陳友諒と朱元璋の立場が逆転した。 [[1361年]]には陳友諒は[[安慶市|安慶]]、江州、[[南昌]]という拠点を奪われ、武昌(現[[武漢市]])にまで撤退を余儀なくされる。