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[[Image:Heliocentric.jpg|thumb|right|地動説の宇宙]]
'''アンドレアス・ラリウス'''(Andreas Cellarius 、1596年頃 - [[1665年]])は[[ドイツ]]生まれで[[オランダ]]で活躍した地図製作者で、1660年に出版した『大宇宙の調和』(Harmonia Macrocosmica)という[[星図]]の作者として知られる。
 
ドイツの[[ヴォルムス]]に近いノイハウゼンで生まれた。[[ハイデルベルク]]に学んだ。新教徒であったラリウスは[[三十年戦争]]の勃発によって、ハイデルベルクがカソリック勢力に占領されるた1620年代の初めに、ハイデルベルクから逃れた。1625年にラテン語学校の教師をしていた[[アムステルダム]]で結婚した。その後[[ハーグ]]でしばらく過ごし、1637年に[[ホールン]]に移り、没するまでホールンのラテン語学校の講師を務めた。
 
1660年にアムステルダムでJohannes Janssoniusによって出版されたした『大宇宙の調和』は29枚の美しい版画によって星図や宇宙像が示されている。[[ニコラウス・コペルニクス]]の[[地動説]]に従う宇宙像や、[[チコ・ブラーエ]]の[[天動説]]の宇宙像が列挙されている。([[:nl:Andreas Cellarius|nl版wikipedia]]に画像がある。)
 
小惑星(12618)[[ラリウス (小惑星)|Cellarius]]に命名されている。
 
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[[Category:地図製作者]]
[[Category:1665年没]]