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en:Daniel Gooch (23:21, 7 May 2008 UTC) から翻訳、グレート・ウェスタン鉄道の初代技師長、後に会長、イギリスの鉄道技術者・政治家
 
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'''ダニエル・グーチ'''(Sir Daniel Gooch, 1st Baronet)([[1816年]][[8月24日]] - [[1889年]][[10月15日]])は、[[グレート・ウェスタン鉄道]]の初代技師長(CME: chief mechanical engineer)を[[1837年]]から[[1864年]]まで務め、後に[[会長]]を[[1865年]]から[[1889年]]まで務めた人物である。
 
[[ノーサンバーランド (イングランド)|ノーザンバーランド]]州ベドリントン([[:en:Bedlington|Bedlington]])生まれで、<!-- the son of an ironfounderのironfounderの意味不明 -->多くの会社で工学の経験を積み、[[ロバート・スチーブンソン]]の会社でも働いていたことがあるが、21歳そこそこの時に[[イザムバード・キングダム・ブルネル]]によってグレート・ウェスタン鉄道へと招かれた。彼のグレート・ウェスタン鉄道での初期の活動は、ブルネルの発注した雑多な[[広軌]]の[[蒸気機関車]]との格闘であった。これらの機関車の中で最も優れていた、ブラストパイプの配置の改良を行ったスター・クラス([[:en:GWR Star Class|GWR Star Class]])をモデルとして、彼は[[1840年]]に[[車輪配置|軸配置]]2-2-2の急行旅客用機関車ファイアフライ・クラス([[:en:GWR Firefly Class|GWR Firefly Class]])を設計して導入した。軌間委員会(the Gauge Commissioners)の比較試験では、このクラスのイクシオン(Ixion)号が、その[[標準軌]]のライバルよりも高速を出すことができることを証明した。[[1843年]]にはグーチは新型の[[弁装置]]を導入した。
 
1840年、グーチは[[スウィンドン]]工場の位置の選定の責任者となり、[[1846年]]にはそこで最初に製造される機関車である、後にアイアン・デューククラス([[:en:GWR Iron Duke Class|GWR Iron Duke Class]])の原形となった、グレート・ウェスタン(Great Western)号の設計を行った。