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経済準学士 (会話 | 投稿記録)
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[[立憲民政党]]所属の[[政治家]]・[[永井柳太郎]]の次男として[[東京]]に生まれる。[[武蔵高等学校 (旧制) |旧制武蔵高校]]、[[京都大学]][[文学部]]卒。[[オハイオ州立大学]]で[[Ph.D.]]を取得。京都大学教育学部助教授を経て、[[1957年]][[東京工業大学]]に移る。[[1970年]]、東京工業大学を退職、[[朝日新聞社]]論説委員となる。大学紛争の時代、[[国際基督教大学]]の事務長だった[[飯田宗一郎]]が、八王子に[[大学セミナーハウス]]を都内主要大学の学長、総長の協力のもとに始めた時、そこで行なわれた第1回大学共同ゼミナールを主催したり、教育の実際的な改革に精力的に取り組んだ。
 
[[1974年]]、[[三木内閣]]で[[民間人閣僚]]として[[歴代の文部大臣|文部大臣]]に就任。民間人閣僚起用は1958年の[[藤山愛一郎]]外務大臣以来、17年ぶりであった(1966年に衆議院鞍替え浪人中に経済企画庁長官に起用された前参議院議員の[[宮沢喜一]]は除く)。在任中、主任制の導入、[[国際連合大学]]の日本への誘致などに尽力。[[三木内閣改造内閣]]でも留任した。政界を離れて以降は、朝日新聞社へ復社して客員論説委員、国際連合大学学長特別顧問、[[国際文化会館]]館長などを務めた。[[1996年]]からは[[世界平和アピール七人委員会]]の委員となった。
 
==主要な著書==