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第二次世界大戦末期、静岡県沼津市に対して行われた空襲
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2005年5月29日 (日) 09:22時点における版

沼津大空襲(ぬまづだいくうしゅう)は、第二次世界大戦末期、アメリカ軍により静岡県沼津市に対して行われた空襲である。

1945年昭和20年)7月17日未明、米軍B29の130機の編隊が海軍工廠や多くの中小軍事工場のある沼津市街上空に侵入し、愛鷹山香貫山高射砲が迎撃するも9077発、1039トンの焼夷弾を投下し9523戸が消失、274人が死亡した。米軍の記録によるとこの空襲により市の89.5%が破壊されたという。 沼津市はサイパン島から富士山へ続くB29の本土空襲コースの真下にあたり、それ以前にも小規模な空襲や機銃掃射を受けており、それらを合計すると死者322人、重軽傷者634人、全半焼11756戸、全半壊127戸という被害だった。