「サーバートン」の版間の差分

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しかし、翌年サーバートンは[[ケンタッキーダービー]]に出走し2番人気に押された。もっとも、これは僚馬ビリーケリーが注目されていたからであり(欧米では馬主単位で[[投票券 (公営競技)|馬券]]が発行されるため、ビリーケリーとサーバートンで1つの馬券になる)、サーバートンはビリーケリーの[[ペースメーカー]]に過ぎなかった。だが、結果はサーバートンがビリーケリーを5馬身差突き放し圧勝してしまった。ケンタッキーダービーがサーバートンの初勝利である。そして4日後に[[プリークネスステークス]]を4馬身差で連勝、さらに[[ベルモントステークス]]にも5馬身差で楽勝、史上初の現アメリカ三冠を達成した(ただしこの頃のアメリカは三冠体系が整っていなかったため、サーバートンが三冠馬と呼ばれる様になったのはもっと後になってからである)。この年米年度代表馬に選出。
 
サーバートンは4歳になっても活躍し、サトラガハンデキャップではレコードで[[エクスターミネーター]]を破っている。だが、ケニルワスパトンの翌年に旧アメリクゴールド三冠を達成し無敵を誇っていたップ([[マンノウォー]]との新旧三冠馬による[[マッチレース]]となったケニルワースパークゴールドカップは、マンノウォーの前に敗れてしまった。このため現在サーバートンが最強馬と呼ばれることは皆無である。レースはマンノウォーが先行し、その1馬身後方をサーバートンが追いかける展開、だがその差は縮まる事はなくマンノウォーが7馬身差でゴールした。サーバートンにとっては完敗であった。そしてその後3戦したが3,3,2着と勝てず引退している。
 
=== 年度別競走成績 ===
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