「藤原重家 (刑部卿)」の版間の差分

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'''藤原重家'''(ふじわら の しげいえ、[[大治]]3年([[1128年]]) - [[治承]]4年([[1180年]]))は[[平安時代]]後期の[[公卿]]、[[歌人]]。[[六条藤家]]の出身で、父は[[藤原顕輔]]。母は家女房。兄弟姉妹に[[藤原清輔|清輔]]、[[藤原季経|季経]]、[[近衛基実]]室([[粟田口忠良|忠良]]母)らがあり、子には[[藤原経家|経家]]、[[藤原顕家|顕家]]、[[藤原有家|有家]]らがある。初名を'''光輔'''と称す。[[従三位]]、[[刑部卿]]、[[太宰大弐]]。
 
父の顕輔は、自らと年齢の近い清輔とは微妙な関係にあり、その分重家らに愛情深かったという。[[周防国]]、[[筑前国]]などの[[国司]]を歴任するが、[[二条天皇]]側近と見なされたことから、[[応保]]2年([[1162年]])に[[後白河法皇]]の意向で解官される。その後復権し、[[仁安 (日本)|仁安]]3年([[1168年]])に[[昇殿]]を許され、[[嘉応]]2年([[1170年]])正月に従三位で公卿となる。[[承安 (日本)|承安]]元年([[1171年]])に太宰大弐。[[安元]]2年([[1176年]])に[[出家]]して退隠(法名は蓮寂または蓮家)。
 
[[和歌]]、[[漢詩]]、[[管弦]]に秀でた才人として名声が高く、特に和歌の方面では六条藤家歌道の中心人物として数々の歌合に出詠、[[九条兼実]]家百首では判者を務めた。[[家集]]に『大宰大弐重家集』がある。
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