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[[3世紀]]には、[[西晋]]の[[武帝 (西晋)|武帝]]の命令で、[[荀勗]]が『[[中経新簿]]』を編纂し、その際に甲・乙・丙・丁の四部の分類法を最初に適用した。
その後、[[7世紀]]、初[[唐]]の『[[隋書]]』「[[経籍志]]」により、'''経・史・子・集'''の四部分類法が完成した。
さらに時代は下がって、[[清]]の[[乾隆帝]]の命令によって編纂された一大叢書である『[[四庫全書]]』にも四部分類が適用されており、今日に至るまで、漢籍分類のスタンダードとして踏襲され続けている。
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