「インディアン」の版間の差分

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先住民の食文化のうち、[[ペミカン]]、[[サコタッシュ]]([[:en:Succotash|Succotash]])、「揚げパン([[フライブレッド]])」([[:en:Frybread|Frybread]])などは今日でもよく知られており、米国の食文化に取り込まれたものもある。
 
全部族先住民文化によく見受けられることだが、インディアンも全部族が毛髪を霊力の源と考え、神聖なものとして非常に大事にすることで知られる。写真に納まっているインディアンの毛髪は非常に美しく長い。これに習い、白人がインディアンを登場させる映画などは老人も毛髪豊かな人物として描かれている。しかし、後述の三つ編み方式を知らずに、ヘアバンドで鷲の羽根を立てて描いたものが非常に多い。近年都市に住むシティ・インディアンはそういった習俗が廃れてきて薄毛が増加しているものの、近年は長髪が復活してきている。[[AIM]]が創設されたとき、インディアンの若者達はまず、インディアンのアイディンティティーとして髪の毛を伸ばし始めたのである。これは[[ヒッピー]]文化にも影響を与えた
 
平原部では戦士が髪を三つ編みにするのは母親か妻の役目であり、彼女らはひと編みごとに祝詞をあげる。三つ編みは顔の両脇に二本、そして後頭部にもう一本編まれ、この後頭部の三つ編みに鷲の精神を憑依させるべくその羽根が編み込まれ、頭に鷲の羽根を立てた、有名な平原のスタイルが完成する。
米国の重要な作物である[[トウモロコシ]]、[[カボチャ]]や[[ウリ]]、[[インゲンマメ]]、[[タバコ]]は先住民族が昔から栽培していたものである。現代の防寒着[[アノラック]]やパーカは[[北極圏]]のイヌイットや[[エスキモー]]の防寒着を元にしており、[[カヤック]]や[[カヌー]]は現在でも先住民族の使っていたもののデザインを忠実に受け継いでいる。大平原の先住民族の伝統的な携帯保存食料ペミカンは世界各国の南極探検隊にも採用された。[[ラクロス]]は北東部部族のスポーツが全世界に広まった例のひとつである。
 
19世紀の北東部や平原部の若い戦士の間では、「頭皮剥ぎ」の風習の浸透に伴い、敵部族を挑発するべく後頭部にのみ髪の毛を残して頭を剃りあげ、骨片や木片の留め具で鷲の羽根と房飾りをつけるスタイルが流行した。(※下段ウィンクテの図を参照)
 
いわゆる「モヒカン刈り」スタイルは、17世紀に北東部の[[アルゴンキン語族]]の男達が、狩りの際に弓を射るのに髪が邪魔にならないように、頭の側面を剃っていたものである。
 
米国の重要な作物である[[トウモロコシ]]、[[カボチャ]]や[[ウリ]]、[[インゲンマメ]]、[[タバコ]]、[[トウガラシ]]は先住民族が昔から栽培していたものである。現代の防寒着[[アノラック]]やパーカは[[北極圏]]のイヌイットや[[エスキモー]]の防寒着を元にしており、[[カヤック]]や[[カヌー]]は現在でも先住民族の使っていたもののデザインを忠実に受け継いでいる。大平原の先住民族の伝統的な携帯保存食料ペミカンは世界各国の南極探検隊にも採用された。[[ラクロス]]は北東部部族のスポーツが全世界に広まった例のひとつである。
 
メキシコと、国境付近の一部の部族を除けば、インディアンには酒造の文化が無く、飲酒をコントロールすることが出来ない。このため、彼らには飲酒のペースといったものが無く、一壜あれば、一壜を一気に飲み干して泥酔してしまう。かつて白人が、彼らと不平等な条約を結ぶ際、多量の[[ウィスキー]]を持ち込んだことはよく知られた事実である。こうした人々が[[保留地]]で自活の道を絶たれ、[[アルコール依存症]]となるのは、[[エスキモー]]や[[アボリジニ]]など他国の先住民にも見られる問題である。完全禁酒を掲げる部族自治区も多い。
先住民族の存在が国家の利益の障害であると見なされると、彼らの人権は近代化の名のもとに踏みにじられてきた。しかし自然崇拝を行う・独自の精神文化を持つなど、近代以降の文明社会にある人間が忘れがちな[[自然]]との調和を重視する精神性に対する評価は、近年の[[アウトドア]]や[[エコロジー]]のブームにのって見直される例も多く、様々な文化媒体に登場する事もあり、これに注目する人も少なからず存在する。
 
アメリカ社会において「'''勝者による個人占有'''」は、「[[アメリカン・ドリーム]]」などと呼ばれ美徳とされるが、インディアン社会においては、この100年余り、同化政策で白人的思想が押し付けられたにも関わらず、「'''部族による共有'''」を美徳とする「共同体思想」はなおも根強い。「個人所有」という概念は希薄であり、インディアンで大企業家や資本家となった例は極めて少ない稀である
 
インディアン社会のほとんどは[[母系社会]]であり、[[氏族]]社会である。白人と混血があったとして、母方の血統がインディアンであれば、その子はインディアンとなる。「'''クラン・マザー'''」と呼ばれる女性首長を頂く部族は多い。また、「'''養子制度'''」も根強い。アメリカでは、その子の人種にこだわらず、孤児を引き取るインディアン家庭の例は非常に多い。問題になるのは、その子供が部族内でのどの氏族に属するか、ということである。[[クリーク族|ムスコギー族]]などはかつて、部族に縁組した白人のために、「白いジャガイモ」という氏族を新設したほどである。
 
[[アパッチ族]]は、『ガン』と呼ばれる山の精霊を信仰し、覆面をした『ガン・ダンサー』による祈祷の踊りを捧げる。また、[[ナバホ族]]は、彼らの神話に基づき『イェイビチェイ』という精霊達の行進行事を数日かけ行う。[[ホピ族]]と[[ズニ]]族は[[カチーナ]]という精霊群を信仰する。クラン([[氏族]])を中心とし、いずれも仮面行事である。
 
プエブロ族、ホピ族、ズニ族に共通する神話のモチーフは、「世界が一度滅び、第二世代の先祖が地底から現れ現在の始祖となった」というものである。ナバホ族(南西部では歴史的には新参者である)の神話は、プエブロ族のものの「借り物」であるとされる。
 
生まれたときに祖父から与えられる守護動物のお守り「フェティッシュ」の習慣が根強い。
[[ニューメキシコ州]]では特に、スペイン人の宣教師によってもたらされた[[カトリック教会|カトリック]]と先住民の宗教の習合がよく見られる。
この背景には、かつてキリスト教のみを強制して[[プエブロの反乱]]となったことを踏まえ、宣教師達が部族民の古来の信仰に対して妥協したことがある。文化学者[[マチルダ・スチーブンソン]]はこう報告している。「プエブロの人々は表向きはカトリックと自称している。しかし、神父たちがいなくなれば、彼らは古来の儀式を始めるのだ」
 
特定の[[守護聖人]]を持つプエブロは、守護聖人の聖日を特別な料理を作って祝い、プエブロを訪れた観光客にも振る舞う。プエブロ民族の[[ドラム]]演奏、詠唱、および舞踊は、[[サンタフェ (ニューメキシコ州)|サンタフェ]]の[[聖フランシス大聖堂]]での定期的な[[ミサ]]の一部ともなっている<ref>[http://www.csp.org/communities/docs/fikes-nac_history.html A Brief History of the Native American Church] by Jay Fikes. URL accessed on February 22, 2006.</ref>。
 
クラン([[氏族]])を中心とした、農耕と狩猟に関係した精霊群への祈祷が基本である。[[人身御供]]の行事が多く行われ、敵対者や指導者の心臓や肉は、パワーを得るものとして宗教的に食された。儀式の踊りに、鹿など動物の仮面を用いる。
 
彼らの神話・英雄譚には、[[ヴィンランド]]に入植した[[ヴァイキング]]の、ゲルマン神話の影響を指摘する向きもある。また、フランス人が最初期に植民と布教を行った地域として、カトリックとの習合がしばしば見られる。例えば[[ニューヨーク州]]にはカトリックに改宗したイロコイ族に関連の深い[[フォンダ]]([[:en:Fonda, New York|Fonda]])の[[カテリ・テカクウィサ]]([[:en:Kateri Tekakwitha|Kateri Tekakwitha]])教会や[[オーリーズヴィル]]([[:en:Auriesville, New York|Auriesville]])の北米殉職者教会(National Shrine of the North American Martyrs)がある。
 
イギリス人が植民を行った地域では、[[ピルグリム・ファーザーズ]]と接触した[[ワンパノアグ]]族のように[[プロテスタント]]に改宗した部族もあった。[[17世紀]]の[[ニューイングランド]]では、改宗した先住民は「プレイング・インディアン」([[:en:Praying Indian|Praying Indian]]、「祈るインディアン」)と呼ばれた。彼らの集落は他のインディアンから開拓者を防衛するために開拓者の集落の外側に配置された。[[フィリップ王戦争]]が終結するとプレイング・インディアンらは集落に軟禁され、後に[[ボストン湾]]に浮かぶ[[ディア島]]に抑留された。[[アイビー・リーグ]]の一つである[[ダートマス大学]]は、インディアンを教化する目的で[[モヒーガン]]族の牧師[[サムソン・オッカム]]らの出資により[[1769年]]に創立された。
女性[[シャーマン]]の習俗が多く見られ、深い森を幾日もさまようことで啓示を得る。死者を煙でいぶし、ミイラにして保存する部族も多かった。
 
カナダ側のブリティッシュ・コロンビアは、氏族と守護動物の象徴[[トーテム・ポール]]の風習を持つ。また、仮面行事を行う。「贈与の儀式」([[ポトラッチ]])でも知られる
 
=== 西海岸での宗教 ===
サンダンスでピアッシングの誓いを立てた者は、翌年から毎年都合四回、必ずこれを行わなくてはならない。スー族の呪い師ピート・キャッチーズは、サン・ダンスを「全ての儀式の“祖父”である」と述べている。かつて白人によってピアッシングの苦行は野蛮な行為として弾圧を受けたが、[[レッド・パワー]]とともに[[スー族]]の伝統派によって全米に広められた。
 
物心がついた男子は、呪い師と近親者に伴われて聖山に分け入り、四昼夜(女子は二昼夜)独りで「幻視を得る儀式([[ヴィジョン・クエスト]])」を行い、啓示を得る。この習慣は近年、全ての儀式の前に行う「発汗小屋([[スエット・ロッジ]])」の儀式と併せてますます盛んである。
 
人間の生贄の風習はなかったが、農耕民でもあった[[ポーニー族]]や[[オーセージ族]]は、例外的に収穫祈念のため[[人身御供]]を行った。生贄には他部族の男女が使われた。
平原部族の多くは、遺体を毛布でぐるぐる巻きにして樹上に載せて葬送した。[[マンダン]]族などは、いつでも故人に会いに行けるよう墓に頭蓋骨を並べた。これらの風習は、キリスト教の強制もあったが、遺体が白人によって持ち去られて大学の研究物にされたり、見世物に売られたりしたため、19世紀末には急速に廃れていった。
 
男子が装う羽根冠や化粧は、本来儀式での正装であって、天上の大精霊にしっかりと自分を見知ってもらうためのものであり、戦いのためのものではない。羽根冠や化粧を白人が「ウォー・ボンネット」とか「ウォー・ペイント」と呼ぶのは誤りである。
 
=== 南東部での宗教 ===
クラン([[氏族]])を中心とした、農耕と狩猟に関係した精霊群への祈祷が基本である。[[クリーク族|ムスコギー族]]や[[セミノール]]族は、地元で採れる[[ヤポンノキ]](Yaupon、''[[:en:Ilex vomitoria|Ilex vomitoria]]'')の葉を煎じた黒い飲み物「ブラック・ドリンク」を儀式の際に飲用する。この飲み物は儀式にとって非常に重要で、オクラホマに強制移住させられたグループは、代替物を煎じている。セミノール族の英雄[[オセオーラ]]の名は、この「黒い飲料」の儀式の「音頭をとる者」という意味である。
 
[[アタカパ]]族や[[カランカワ]]族は、敵対者や指導者の心臓や肉を、パワーを得るものとして宗教的に食した。このため、「人食い人種」と誤解された。[[ナチェズ]]族など、一部の部族は[[ピラミッド]]型の神殿を建造していた。
 
大西洋岸からミシシッピー沿岸にかけては、約二千年前に「[[マウント・ビルダー]]」と呼ばれた部族群が、数100㍍もある動物を象った、無数の土塁・塚を建造している。その直系である[[ナチェズ]]族は、18世紀にフランス人に文明を破壊されるまで、[[インカ]]や[[マヤ]]のように太陽神を頂き、都市を築いて[[ピラミッド]]型の神殿をいくつも建造していた。「神官・僧侶」の社会階級を持っていたのは北米でナッチェズ族だけである。
 
=== ゴースト・ダンス ===
 
* [[1985年]]:オーロネ族の「'''部族の共同墓地破壊に対する抗議'''」
: サンフランシスコのベイエリアにある、「ミッション・インディアン」のムウェクマ・[[オーロネ族]]の先祖代々の墓地が破壊され、ショッピング・センターの建設工事が行われたことに対する抗議。オーロネ族は「'''絶滅部族'''」であるからこれは「遺跡の発掘」なのであり、「墓暴き」には当たらない、というのが白人側の言い分である。女性首長[[ローズマリー・ギャンブラ]]は怒りのあまり、TVが生中継するなか発掘現場で人類学者ウィリアム・ループをシャベルで殴り傷を負わせて逮捕され、看護士資格を剥奪されて夫と職を失った。1万体のオーロネ族の骨は部族の猛抗議を無視して[[カリフォルニア大学バークレー校]]のハースト人類学博物館のインディアン遺骨コレクションに加えられた。遺骨返還を巡っては、現在も係争中である。
 
* [[1990年]]7月11日:モホーク族による「'''オカの衝突'''」([[:en:Oka Crisis]])
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