「豊田泰光」の版間の差分

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3連敗のあと1勝を返して迎えた[[1958年の日本シリーズ]]第5戦、2-3とリードされた9回裏、先頭の[[小淵泰輔]]が二塁打で出塁。3番の豊田に打順が回り、強打か送りバントかの判断を迫られたが、ベンチの三原を見ても「お前に任せる」と言わんばかりの知らん顔だった。結局豊田は自分の判断で送りバントをしたが、西鉄のナインはこのシリーズ最も当たっていた豊田がまさか送るとは思わず、ベンチに帰ったら「なぜ打たなかった」と袋叩きに遭ったという。1死3塁となったが、期待のかかった4番の中西が三塁ゴロに倒れてしまい、絶体絶命。2死となって全く当たっていなかった5番の[[関口清治]]の場面では「どんな神様でもいいです。お願いですから関口さんに打たせてください」と祈っていたという。関口は執念で中前にはじき返し、土壇場で同点に追いついた西鉄は息を吹き返し、この試合稲尾の本塁打でサヨナラ勝ち、結局3連敗4連勝でシリーズも制覇した。
ただし、このエピソードについて、稲尾は[[NHK]]の「[[ラジオ深夜便]]」に出演した時、次のように述べている。……あの場面(9回裏、ノーアウト2塁)では誰がどう見ても送りバントだった。しかし誰も豊田さんがバントに素直に同意するとも思っていなかった。豊田さんは別名「山川さん」と呼ばれていていつも皆とは反対のことを言っていたからだ。そこで三原監督が豊田さんに、「豊田、打て」と声をかけた。すると豊田さんは(「山川さん」なので)、「監督、何言っているんですか、ここは絶対にバントじゃないですか」と反対のことを言ってきた。そしてバントを決めた。豊田さんの性格を熟知してバントをさせた三原さんの見事な駆け引きだった……と。
 
 
 
内野フライを打ち上げた時に、走塁の途中で「俺が捕る」と言い、守備側の選手を混乱させエラーを誘った。そのエラーをした選手が引退後に審判になり、豊田は「以前に自分がした事を恨んでいて、追い込まれてからきわどいコースをストライクとして取られたらたまらない」と思い、その審判が豊田が出場する試合で主審を務める場合は早めのカウントで打つようになった。
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