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'''叔壽'''(しゅく じゅ、?- [[25年]])は、[[中国]]の[[新]]代から[[後漢]]時代初期にかけての武将。[[豫州]]頴川郡の人。[[光武帝]](劉秀)配下の将軍。
== 事跡 ==
始めは新の頴川郡掾であった[[馮異]]は、[[更始]]1年([[23年]])に劉秀軍に捕まった後、従兄馮孝らの推薦を受けて、劉秀に登用される。その後、馮異は自身が守備していた父城(頴川郡)を開城して、劉秀の主簿に任命され、父城の長である苗萌も従事として登用された。この時叔壽は、[[銚期]]・段建(殷建)・左隆と共に馮異から同郷の士として推薦を受け、いずれも劉秀に掾史として登用され、洛陽まで付き従った。
 
[[更始]]2年([[24年]])、河北の[[王郎]]滅亡後に、銚期は虎牙大将軍に任命されており、叔壽もおそらくはこの頃に破虜大将軍に任命されたと見られる。具体的な事跡は不明だが、この昇任を見る限り、銚期同様に、王郎討伐で軍功があったと見られる。