「吉志部神社」の版間の差分

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創建時のことはほとんどわかっていない。社伝では、[[応神天皇]]の時代に[[大和国]]の瑞籬(しきみずがき)より奉遷して祀ったとされている。おそらくは平安時代にはあったと思われる。[[応仁の乱]]以降の戦国の時に壊滅的に焼失したが、[[朝鮮]]から渡来してきた吉志一族の末裔によって[[江戸時代]]に再建された。
 
[[1610年]]([[慶長]]15年)に建立された本殿は、全体が拝殿に覆われており、通常は見ることができない状態にされていた。[[1993年]](平成5年)に重要文化財に指定されたが、2008年(平成20年)5月23日午前4時15分頃に出火し、全焼した。2008年5月25日、神社責任役人と、氏子総代により、火災現場調査後に、焼失した本殿のあとに仮殿を送球に建設する。その後、文化庁の指示を得ながら焼失前と同様の七間社の社殿を建設することが決議された。
 
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