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'''太田 資時'''(おおた すけとき、[[
父や弟と共に[[扇谷上杉氏]]に仕えた。[[
天文16年10月9日死去。享年は不詳だが、没時にはすでに孫がいた。<ref>全鑑の娘は[[遠山綱景]]の嫡子藤九郎に嫁いで一女を生んだが、藤九郎が21歳で早世したため母子とも全鑑に引き取られた。全鑑没後反北条派の資正が当主となったため、全鑑の妻と合わせて三人とも[[成田長泰]]に引き取られた。その後全鑑の娘(遠山藤九郎妻)は上杉憲盛に再嫁し、藤九郎の娘は成田長親(長泰の弟泰季の子)の妻となった。</ref>男子がいなかったため、家督は弟の資正が継承した。
[[Category:太田氏|すけとき]]
[[Category:戦国武将|おおたすけとき]]
[[Category:1520年生|おおたすけとき]]
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