「国鉄6100形蒸気機関車」の版間の差分

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元は、[[山陽鉄道]]が[[1903年]](明治36年)から[[1905年]](明治38年)にかけて、自社兵庫工場で8両を製造した[[車軸配置]]4-4-0(2B)の単式機関車である。山陽鉄道での形式は1903年製の4両が'''17形'''、番号は'''108 - 111'''、[[1904年]](明治37年)および1905年製の4両が'''25形'''、番号は'''118,119,123,124'''である。
 
本形式は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の[[スケネクタディ・ロコモティブ・ワークス|スケネクタディ]]社で製造された16形(後の[[国鉄6120形蒸気機関車|鉄道院6120形]])の模倣により製造されたもので、煙突の形状以外に大きな差異はない。また、形式が17形と25形に分かれたのは、重量と[[炭水車]]の形状が異なるためであった。また、118は19071906年に'''34形'''(番号不変)に改められたが、シリンダ周りの改造が行われたためである。
 
[[1906年]](明治39年)、山陽鉄道は[[鉄道国有法|国有化]]されたが、しばらくは山陽鉄道時代の形式番号で使用された。その後、[[1909年]](明治42年)には鉄道院の車両形式称号規程が制定され、17形、25形、34形のいずれも'''6100形'''('''6100 - 6107''')に改められた。新旧番号対照については、次のとおりである。
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国有化後は、[[山陽本線]]西部の広島・三田尻間を主体に使用され、一部は人吉、豊岡に配属された。晩年は6両が[[関西本線]]に集められており、[[1922年]](大正11年)7月に廃車となった。九州に転属していた2両については1923年1月に廃車となり、消滅した。
 
== 主要諸元 ==
6104 - 6107の諸元を示す。
*全長:14345mm
*全高:3707mm
*全幅:2540mm
*[[軌間]]:1067mm
*[[車軸配置]]:4-4-0(2B)
*動輪直径:1524mm
*[[弁装置]]:[[スティーブンソン式弁装置|スティーブンソン式]]アメリカ型
*シリンダー(直径×行程):381mm×610mm
*ボイラー圧力:12.7kg/cm²
*火格子面積:1.46m²
*全伝熱面積:97.6m²
**煙管蒸発伝熱面積:89.5m²
**火室蒸発伝熱面積:8.2m²
*ボイラー水容量:4.0m³
*小煙管(直径×長サ×数):44.5mm×3270mm×196本
*機関車運転整備重量:36.09t
*機関車空車重量:32.02t
*機関車動輪上重量(運転整備時):24.69t
*機関車動輪軸重(第1動輪上):12.85t
*炭水車重量(運転整備):23.01t
*炭水車重量(空車):11.73t
*水タンク容量:9.08m³
*燃料積載量:2.84t
<!--*機関車性能
**シリンダ引張力:
**粘着引張力:
**動輪周馬力:-->
 
==参考文献==
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[[Category:日本国有鉄道の蒸気機関車|6100]]
[[Category:山陽鉄道|車176100]]
[[Category:山陽鉄道兵庫工場製の蒸気機関車|日本国鉄6100]]
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