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'''吉良 長氏'''(きら おさうじ、[[建暦]]元年([[1211年]]) - [[正応]]3年[[6月18日 (旧暦)|6月18日]]([[1290年]][[7月25日]]))は、[[鎌倉時代]]の武将で、[[足利氏]]の有力一門・[[三河国|三河]][[吉良氏]]の祖。[[足利義氏 (足利家3代目当主)|足利義氏]]の庶長子で、弟に[[足利泰氏]]、[[吉良義継]]等がいる。母は家女房。通称は足利五郎、または吉良太郎。官途は従五位下上総介、のちに従三位下左衛門尉となる。名前の読みは「ながうじ」とする書物が多いが、子の[[吉良満氏]]が創建した実相寺([[西尾市]])代々の住職の言い伝えでは「おさうじ」と読むのが正しいとされる。子は嫡子満氏の他、[[今川国氏]]、[[土御門顕方]]室、[[上野義有]]室がいる。
 
母が正室ではなかったため、長男でありながら足利家の家督を継ぐことができなかったという。この経緯が元となって、後に足利一門の中で吉良家とその支流の[[今川氏|今川家]]のみが足利宗家継承権を持つことになる。