「西岡 (札幌市)」の版間の差分

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現在の西岡地区は、明治22年([[1889年]])に大滝勘右衛門・川中末吉・西川次郎左衛門のなどの数名により、開拓が始められた(大滝・川中・西川の3人は実の兄弟であり、福井県出身)。同年には西川が地区の評議員となった。-->[[1890年]](明治23年)には、兵庫県出身の移住者の森金蔵が現在の[[西岡八幡宮]]を創祀したとされる。
 
西山は火山灰地で土地が痩せ、水が得にくい台地ということもあって、営農には苦労が多かった。[[1915年]](大正4年)から戦後しばらくは、札幌市の家々から屎尿をひきとって肥料を確保した。大正時代に焼山いもの名で品質のよいじゃがいもを本州・国外に売り出した。隣の[[平岸 (札幌市)|平岸]]で成功したりんご栽培は、[[1923年]](大正13年)から西岡にも広がった。
 
油沢は油が地表ににじみ出る場所で[[1883年]](明治16年)から[[1957年]](昭和32年)までたびたび石油が試掘されたが、結局発見されなかった。