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'''回向'''
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== 概要 ==
* 寺院や僧侶に読経をたのむときに、「廻向料」などと表書きするのは、この理由による。
[[世親]]は「礼拝、讃歎、観察、作願、'''回向'''」と五念門を説き、[[往生]][[浄土]]のための行の中、自ら修めた諸功徳をすべての衆生に回向して、ともに浄土に往生して仏となることを重要な項目としてあげている。<br>▼
▲[[世親|世親(天親)]]は、「礼拝、讃歎、観察、作願、'''回向'''」と五念門を説き、[[往生]][[浄土]]のための行の中、自ら修めた諸功徳をすべての衆生に回向して、ともに浄土に往生して仏となることを重要な項目としてあげている。
====他力回向====▼
'''住相回向'''とは、自分の善行功徳を他のものにめぐらして、他のものの功徳として、ともに浄土に往生しようとの願いをもととして説かれる。親鸞の場合、浄土への[[往生]]のための善行はすべて[[阿弥陀仏]]の力によるのであって、'''阿弥陀仏'''がたてて完成した万徳具備の[[名号]]のはたらきによるとして、'''名号を回向される'''という。<br>▼
[[曇鸞]]は、『[[無量寿経優婆提舎願生偈註|浄土論註]]』巻下において、「'''[[往相回向|往相(おうそう)]]'''」、「'''[[還相回向|還相(げんそう)]]'''」の二種の回向があると説いた。
次に'''還相回向'''とは「還来穢国」といわれ、浄土へ往生したものを、再びこの世で衆生を救うために還り来たらしめようとの願いを言う。この'''利他'''のはたらきも、'''阿弥陀仏'''の'''本願他力'''の'''回向'''による。具体的には、江戸時代[[讃岐]]の[[庄松]]という[[妙好人]]が「私が捨てた念仏を喜んで拾う者がいる」と言うように、称名の声を聞いた時に、浄土からこの我々に働きかけているすがたと感じて、それに応えて称名をするすがたを言う。<br>▼
'''往相還相'''がともに阿弥陀如来の'''本願'''のままに衆生に回施され、衆生もこの阿弥陀如来と同じ悟りを開くことができるとする。これを'''他力回向'''と説く。▼
* 「往相回向」とは、自分の善行功徳を他のものにめぐらして、他のものの功徳として、ともに浄土に[[往生]]しようとの願いをもととして説かれる。
* 「還相回向」とは「'''還'''来穢国の'''相'''状」の略で、浄土へ往生したものを、再びこの世で衆生を救うために還り来たらしめようとの願いを言う。この利他のはたらきも、阿弥陀仏の本願力の回向による。
[[浄土真宗]]においては、[[親鸞]]の「[[末法]]の衆生は、回向すべき善行を完遂(かんすい)しえない。」という自己反省によって、法を仰ぎ、法の力を受け取ろうとする。
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{{Wikisource|回向文}}
「'''回向文'''」は、「回向偈」ともい
* 「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」 - 『[[法華経|妙法蓮華経]]』巻第三「化城喩品第七」 [[鳩摩羅什]]訳(『[[大正新脩大蔵経]]』第9巻 P24。)
* 「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」 - 『[[観無量寿経疏]]』「観経玄義分 巻第一」 [[善導]]撰述(『大正新脩大蔵経』第37巻 P246。)
** [[浄土教]]系諸宗においては、[[浄土三部経]]を正依の経典としているため、後者が用いられる。また浄土真宗では、「此功徳」を阿弥陀仏の功徳とする。
▲====回向文====
▲'''回向文'''といって宗派によっては法華経にある「願以此功徳 普及於一切 我等与衆生 皆共成仏道」用いたり、また「願以此功徳 平等施一切 同発菩提心 往生安楽国」というのもある。これは、仏事の最後に唱えられ、仏事を行った功徳を自らだけのものにすることなく、広く有縁の人々に'''回向'''するために読誦される。この意味で、寺や各家々で行われる仏事は、亡くなった人のためではなく、縁ある者すべてに向けての'''回向'''とする。<br>後者の回向文は、しばしば浄土系諸宗派で用ゐられるが、浄土真宗では「此功徳」を阿弥陀仏の功徳とする。
[[category:仏教行事|えこう]]
[[category:浄土系仏教|えこう]]
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