「第5ラテラン公会議」の版間の差分
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政治情勢の影響で5月にずれこんだものの、[[5月3日]]にラテラノ大聖堂に公会議の教父たちが集結、公会議が始まった。内訳は15人の枢機卿、[[アレクサンドリア]]と[[アンティオキア]]の[[総大司教]]、10人の[[大司教]]、56人の[[司教]]、各[[修道会]]の代表、フェルディナンド王と[[ヴェネツィア]]、[[フィレンツェ]]の代表者など100人あまりであった。
ユリウス2世に始められた公会議は数度の会期にわたった。その間にユリウス2世は亡くなり、後継者の[[レオ10世 (ローマ教皇)|レオ10世]]に引き継がれ、[[
公会議は最終的に以下のような教令を採択した。
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