「ラ・サール (ドック型輸送揚陸艦)」の版間の差分

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|排水量
|軽荷排水量:9,559 トンt<br />満載排水量:13,634 トンt
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|長さ
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|全幅:107 ft (33 m)<br />水線長:84 ft (26 m)
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|吃水:
|最大:22 ft (6.7 m)<br />限界:23 ft (7.0 m)
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|}
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'''ラ・サール''' ('''USS La Salle, LPD-3/AGF-3''') は、[[アメリカ海軍]]の[[ドック型揚陸艦|ドック型輸送揚陸艦]]。[[ローリー級ドック型輸送揚陸艦|ローリー級]]の3番艦。艦名は[[イリノイ州]]の[[ラ・サール郡]]に因んで名付けられた。同名の艦としては二隻目。
 
==艦歴==
ラ・サールは1962年4月2日に[[ニューヨーク州]]ブルックリンの[[ブルックリン海軍工廠|ニューヨーク海軍造船所]]で起工された。1963年8月3日にヴィクター・F・ロングストリート夫人によって命名され、初代艦長エドワード・H・ウィンズロー[[大佐]]の指揮下1964年2月22日に就役した。
 
[[カリブ海]]での慣熟訓練の後、[[バージニア州]][[ノーフォーク (バージニア州)|ノーフォーク]]を出航したラ・サールは10月9日にスチール・パイク・ワン作戦に参加する。アメリカ海軍と[[スペイン海軍]]合同の80隻以上が参加する複合演習であった。10月26日に[[スペイン]]のウェルバに寄港し、[[アメリカ合衆国海軍省|海軍省]]長官ポール・B・フェイ、海軍作戦副部長ホレーショ・リベロ、[[アメリカ海兵隊|海兵隊]]司令官ウォーレス・N・グリーン、[[アメリカ合衆国下院|下院]]軍事委員会議長メンデル・リヴァースが乗艦し作戦を視察した。
 
演習は11月4日に終了し、ラ・サールは[[イタリア]]の[[ナポリ]]で[[北大西洋条約機構|NATO]]の上陸演習に参加するため[[第6艦隊 (アメリカ軍)|アメリカ第6艦隊]]に加わった。同艦は1963年3月13日にノーフォークに帰港する。5月1日からはカリブ海での演習に出撃し、7月1日に帰港している。
 
1966年頃は、アメリカ[[東海岸]]付近で作戦行動を行っている。また、1966年11月3日には、アセンション島近海で[[ジェミニ計画|ジェミニ2号]]の試験カプセルの回収を行っている。1967年には、整備のためにノーフォークの工廠へ長期入渠している。1968年11月には第6艦隊への配属のため、[[地中海]]に移動した。
 
1979年には[[イラン革命]]に伴う混乱により同国から脱出する260名のアメリカ市民を支援するため、バンダル・アッバースで行動している。1980年には、ノーフォークでのオーバーホールのためにアメリカ本国へ帰国するが、1983年には中東の部隊の指揮を取るために[[アラビア海]]へ派遣される。1986年には、[[イエメン内戦]]に伴い、[[紅海]]で行動している。、
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1987年5月の[[スターク (フリゲート)|スターク]]誤爆事件の際は、救出艦として同艦を支援している。1990年の[[湾岸戦争|湾岸危機]]の際は、[[多国籍軍]]の海上部隊の調整を行っている。その後、改装を受け、1994年11月からは米第6艦隊[[旗艦]]となった。
 
また、[[アテネオリンピック (2004年)|2004年夏季オリンピック]]の際は、ギリシア水域のNATO軍の調整を行っている。2005年2月25日に、第6艦隊旗艦任務を[[マウント・ホイットニー (揚陸指揮艦)|マウント・ホイットニー]]に譲り、5月27日に退役した。
 
==関連項目==