「マヘンドラ・ビール・ビクラム・シャハ」の版間の差分
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし |
編集の要約なし |
||
3行目:
[[1959年]]、[[憲法]]を公布してネパール初の[[総選挙]]を実施。選挙の結果[[ネパール会議派]]が大勝し、[[ビシュウェシュワール・プラサド・コイララ]]内閣が誕生する。しかし、改革を進めようとする内閣と、権力を維持したい国王は次第に対立を深め、[[1960年]]、マヘンドラは憲法を停止して内閣・議会を解散、コイララ首相ら政党指導者を逮捕した('''''国王のクーデター''''')。
[[1962年]]、政党の禁止、[[パンチャヤット制]]などを定めた新[[憲法]]を公布。以後ネパールは[[1990年]]に[[ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ|ビレンドラ]]国王が民主化を行うまで、
{{先代次代|[[ネパールの国王]]|第9代:[[1955年]] - [[1972年]]|[[トリブバン・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ|トリブバン]]|[[ビレンドラ・ビール・ビクラム・シャー・デーヴ|ビレンドラ]]}}
|