「ジョーゼフ・ピューリツァー」の版間の差分
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== 生涯 ==
[[ハンガリー]]の[[チョングラード県]][[マコー]]で、[[ユダヤ系
[[1883年]]にピューリツァーはジェイ・グールドから346,000ドルでニューヨーク・ワールド紙を購入した。それは年間40,000ドルの赤字を出していた。ピューリツァーはワールド紙の焦点を、人間の興味の物語、スキャンダルおよびセンセーショナリズムへ移した。[[1885年]]、彼は下院議員に選任された。その購読者数は彼が同紙を購入した時点の15,000から600,000に達しアメリカで最大の新聞になった。[[1887年]]には、彼は有名なジャーナリスト、ネリー・ブライを雇用した。
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{{DEFAULTSORT:ひゆうりつああしよせふ}}
[[Category:東欧ユダヤ系アメリカ人]]
[[Category:
[[Category:アメリカ合衆国のジャーナリスト]]
[[Category:1847年生]]
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